主権者のいない国

◾ゆえに、かつてペストの大流行による人口減がヨーロッパで中世を終わらせたこととの類推で、コロナ危機が近代(=資本主義の時代)に終止符を打つのではないかという見解が根拠なきものだとは、私は思わない。
◾あの不条理に見える天皇機関説排撃でさえも、今日の視点から冷静に見れば必然性は理解できる。全面戦争に臨むにあたり、「死ぬための理屈」を納得させるためには、命を捧げる対象たる天皇は「機関」であってはならず、「神」でなければならなかったのだ。
◾「支配階級の思想は、いつの時代にも支配的思想である」(マルクス)。総中流社会が過去のものとなり、再階級社会化が進行しているにもかかわらず、階級闘争の存在を否認するのが当世の主流思想なのであろう。
◾現実にある差異を否認することによって、卓越者を悪党に仕立て上げてしまう。かかる思考回路の全景化こそ、「自由で平等な人間」という近代原理の陰画であり、かつてニーチェオルテガ大衆社会の悪夢として警鐘を鳴らした事態であった。
◾そして、客観的事実に促されて「○○」の知的優位を「私」が認めざるを得なくなったとき、それでもなお「平等」を維持するためには、「知的な事柄全般が本当は役に立たない余計なものにすぎない」という発想がでてくる。これはまさに、反知性主義のテーゼである。
反知性主義は、新しい階級社会における、言うなれば「階級文化」の一構成要素としてある。
◾「グローバル化の促進が自らの階級的利益に反することを理解できないオツム弱い連中をだまくらかして支持させればよいではないか」。
◾つまり、国家の根幹には暴力があるという普遍的な事実が、この国では否定される。
◾この家族国家において、社会内在的な敵対性は否認されたのである。戦前「主義者」や「アカ」といった言葉が独特の響きを持ったのは、こう呼ばれた者たちが、この敵対性を否認しないという意味で恐るべき異分子であることを意味していたからであった。
◾実に、安倍政権が君臨してきた平成末期は、戦後レジームの全般的な危機が表面化した時代となった。低次元のスキャンダルにまみれ、議会政治の最低限のルールをも守ろうとしない政権と、それに立ち向かうこともできないメディア。そしてこの状況を終わらせようという意志を持たない、無知、無気力、無関心、奴隷根性の泥沼に落ち込んだ群衆。「末法の世」とはこういうものかと実感する。平成を、後代の日本人(存在し続けると仮定するならば)は、途轍もなく馬鹿げた時代だったと見なすであろう。
それと同時に、国民統合の崩壊が劇的に進行した時代でもある。「一億総中流」が遠い過去となるなか、国民統合がもはや存在せず、誰もそれを回復しようと欲してすらいないのだとすれば、「統合の象徴」もあり得ない。天皇が「おことば」のなかで「象徴としての役割を果たす」ことに重ねて言及することで強く示唆したのは、まさにこのことではなかったか。
◾明治レジームが発明した国体=「万世一系天皇を中心とする国家体制」、日本国は天皇を頂点に戴く「家族」のような共同体であるという観念。大いなる父たる天皇は臣民=国民を「赤子(せきし)」として愛しているのであって、支配しているのではない。しかし、国家が国家である以上、それは支配の機構である。つまり、支配の事実を否認する支配であるところに、国体観念の際立った特徴があった。
◾唱和天皇が手引きした「菊と星条旗」の結合、否、従属は、「アメリカから愛される日本」という幻想をもつ日本国民からは見えない。いや、国民はそこから目をそらし続けてきた。
◾「更新」は、この魔力に正面から向き合うことだ。それは、具体的実践としては象徴天皇制の「戦後の国体」からの切り離しの試みとして表れるほかない。その準備を明仁天皇はまさに積み上げてきたのであり、「おことば」はその行方を国民に問い掛けた。
◾それは、「国体護持の物語」がタブーを保持しきれなくなりつつあること、すなわち物語が失効しつつあること、虚構の崩壊と軌を一にしている。
◾シュミットの功績のひとつは、自由主義と民主主義を親和的なものととらえるのではなく、むしろ異質で背反する原理として峻別しなければならない、と説いたことにある。いわく、自由主義は意見や利害の異なる者同士による討議·交渉·妥協の原理であるのに対して、民主主義は一致した意志決定の原理である。自由主義は差異を前提とするのに対して、民主主義は同質性を前提とする。ゆえに、自由民主主義(リベラル·デモクラシー)とは、実はキメラ的なものなのだ。
◾しばしば指摘されるように、ナチズムは民主主義の破壊によって生まれたのではなく、民主主義をあるひとつの方向に純化することによって、生まれたのだった。
◾それにしても、なぜ平成期に国民統合の危機がここまで深まったのか。それは、米ソによる東西対立と日米安保体制を前提とする戦後のいわゆる「対米従属レジーム」が、冷戦の終焉にもかかわらず無理やり延命されてきたことによる。
象徴天皇制度は天皇天皇たらんとする不断のどりょくによってのみ持続しうる。➡️「日本」そのものもまたそれを構築し続けようとする意思と努力によってのみ存続しうる。
天皇の退位意向を大方の国民が受け入れた動機は、これまでの天皇の精力的な仕事ぶりに対する感謝と好意といういささか素朴な感覚であっただろう。だがそれは、突き詰めれば、平成の天皇が積み重ねてきた「天皇天皇たらんとする不断の努力」への敬意ゆえだったはずだ。われわれが「歴史」に復帰できるとすれば、その小さな入り口は、この素朴な感覚を意識にまで高めるところに開かれうるのではないだろうか。
天皇を攻撃するよりも、活用した方が円滑な占領統治に有益である。マッカーサー「三原則」=「天皇を元首とする」「戦争放棄」「封建制度の廃止」。「天皇元首」(天皇が象徴として存在し続ける)と「戦争放棄」(完全な非武装化)は密接に関連。天皇の責任を問う内外の圧力をかわすためには、日本を軍事面で徹底的に無力化することが必要だったのである。
◾つまり、日本の戦後民主主義の存立は、朝鮮戦争が膠着して引き分け状態になったことに依存していた。
◾真の困難は、政治制度の出来不出来云々以前に、主権者たろうとする気概がないことにある。