酪酸菌を増やせば健康·長寿になれる

酪酸産制生菌が酪酸を産生する時に利用するものが、食物繊維とされています。
また、大腸がんと診断された人を対象にした試験においても、食物繊維の摂取量が生命予後を改善させることが明らかになっています。
食物繊維摂取の世界基準 24g/日
日本人の平均摂取量 14~15g/日
食物繊維摂取による効果はさまざまな機能の総和と考えられますが、少なくともその一部は酪酸によるものと考えられます。
◾さらに興味深い点は、免疫チェックポイント阻害薬の治療前に抗生物質の投与を受けていた症例の解析では、ミヤBMの併用群と非併用群との生存期間の差はより大きくなることです。抗生物質の前処置を受けた腸内環境では、ミヤBMの効果が出やすくなっている可能性を示すものです。
◾大腸上皮細胞は体の内側と外界を境界する一層の細胞ですが、上皮細胞は、エネルギーを体の中を流れる血液に頼らずに腸内細菌の代謝物の酪酸に依存しています。
上皮細胞は酪酸と酸素を消費(呼吸)することで結果的に管腔を無酸素化している。➡️偏性嫌気性菌である常在細菌(酪酸産生菌など)に嫌気性の環境を提供。

◾低脂肪食でブラウチア菌、フィーカリバクテリウム菌などの菌が増加。
◾時間栄養学
何を食べるかよりも、いつ食べるか。
食事時刻を規則正しく制限されたマウスは活動時間と休息時間がしっかりと分かれていて概日リズムが維持されている。
異常な食事時間(夜型の食生活)は腸内フローラのディスバイオーシス、特に酪酸産生菌の減少を引き起こす。
◾食物繊維
食物繊維の摂取量が多いほど、心疾患、糖尿病、大腸がんの罹患率が低くなる。
食物繊維による疾患のリスク低下との関連性は、1日の食物繊維摂取量が25~29gで最大となるとされている。
食物繊維は炭水化物に含まれる。炭水化物の中で、難消化性非デンプン性多糖類を食物繊維とする定義が一般的。
最も死亡率が低いのは、炭水化物摂取量が50%前後。
日本人においても食物繊維の摂取量が多いほど死亡リスクが低い。今回の食事調査では、豆類や野菜類、果物類由来の食物繊維の摂取量が多いほど全死亡リスクが低いという傾向が見られました。
全粒穀類、イモ類、海藻類など水溶性食物繊維、ヨーグルト。
酪酸産生菌を維持していくためには、継続的に酪酸産生菌のエサとなるような水溶性食物繊維を食事に取り入れていくことが重要。
◾水溶性食物繊維の中でも発酵性の高い食物繊維を、日々の食事に継続して取り入れることが大切。
発酵性食物繊維が含まれる食品と発酵食品は別のもの。
発酵性食物繊維を意識。緑ではなく、茶色系。主食が最も大事。麦ご飯、玄米ご飯、全粒粉パン、小麦シリアルなどを主食に取り入れる。
◾息が上がるようなやや強度の高い運動を30~60分間、週に3回を6週間続けて行うことで、BMIにかかわらず酪酸菌が増える。
運動が好きなら、週に3日程度ランニングやサイクリングなどの有酸素運動をするのもオススメ。
◾腸内フローラにとって睡眠不足は大敵。
体内時計の乱れは、腸内フローラを乱す。
◾善玉菌➡️味噌やヨーグルト、漬物、キムチなどの発酵食品
酪酸菌➡️ぬか漬け、臭豆腐

マイクロバイオームの世界

◾人体は微生物にまみれているが、微生物が人の健康を損なうのではなく、概して人体の自然な生態系が崩れることで病気になる。
言い換えると、人体の細胞と人体に棲む何兆個もの微生物との共進化による生態的均衡が崩れたときに初めて、病原性が生じるのである。
◾ウイルスは、自分が入り込んだ細胞(宿主細胞という)の正常なプロセスを阻害し、細胞の通常の複製機構を勝手に利用してみずからのコピーを作り出す。
◾「生命とは何か?」
細胞一個をいくらかの栄養とともに放置したとしよう。周囲に他に細胞はない。すると細胞は、その壁の内側で生化学的プロセスを始動し、やがてはみずからを複製する可能性が高い。そうするための遺伝子と生化学的機構を持っているからだ。では、ウイルスを同じ状況に置いてみるとしようーー単独で栄養のプールのなかに置くのだ。何も起こらない。
細胞は、単独で生化学的プロセスを実行でき、複製することもできるから、生きている。ウイルスは、どちらもできないから生きてはいない。
◾たとえば、熱を出した子のヴァイロームを調べて、多種多様なウイルスが予想以上にたくさんあることがわかれば、抗生物質での治療は避けたほうがいい。熱を出させる感染はウイルスによる可能性が高く、抗生物質の処方は効果がないうえに、微生物のコミュニティを攪乱してしまうからだ。それどころか、抗生物質による治療はたいていの熱では避けるべきで、感染の原因がウイルスならぜひとも避けなければならない。
◾皮膚のミクロな生息環境をさらに分析するには、細胞レベルの構成を知る必要がある。てっぺんの層はケラチノサイト(角化細胞)という特殊化した細胞でできている。この細胞にはケラチンなどのタンパク質がぎっしり詰まっており、ケラチンは丈夫な繊維状のタンパク質で、このおかげでこうした細胞は外部の要素を通さない。こうしたケラチノサイトは特有の名前ーー鱗屑(りんせつ)ーーももち、皮膚の再生とともに絶えず更新されている。そして、モルタルできっちり接合されたレンガのようにも見える。
◾風呂に入るのは、皮膚の環境を劇的に変える一手だ。前にも話したように、運動はたいてい皮膚の一部の水分量を変化させ、温度を上昇させる。また、化粧品や日焼け止めを塗るなどして皮膚に干渉すると、微生物相が大きく変わる。化粧品会社は、皮膚のマイクロバイオームの状況に必然的に関与してきたのだ。
◾犬の体で粘膜のある場所ーー鼻などーーと毛の生えた場所とでは、マイクロバイオームが異なる。また、どちらの場所も、肛門周囲の場所とはかなり違っている。毛の生えた場所は、ほかのふたつの領域よりはるかに多様性が大きい。この研究をおこなった研究者たちは、健康な犬と皮膚に問題(アレルギーやノミなど)を抱える犬を何匹か調べ、健康な犬の皮膚のほうが微生物の多様性が大きいことを明らかにした。
◾犬もマイクロバイオームの構成が個々人でかなりばらついている。
◾犬のいる家庭には、犬の皮膚マイクロバイオームに近いマイクロバイオームが存在。
◾しかし、この研究と、犬と猫が家の空気中のマイクロバイオームに及ぼす影響を探った別の研究から導き出された結果は、ペットがいると、私たち人間が家のなかの空気に対して示す反応に大きな違いが現れることを示している。とくに、家のなかでペットのマイクロバイオームにさらされていると、住人は種々のアレルギーになりにくくなるようなのである。
◾その結果、口腔マイクロバイオームの構成はきわめて種に特異的であることが明らかになった。
◾こうした細菌はバイオフィルムを作ると、私たちが食べる糖をせっせと発酵させるようになり、やがてバイオフィルムは歯を侵蝕する酸を大量に作り出す。糖の摂取をやめると、p
Hが再び上昇して歯は再石灰化される。つまり虫歯は、私たちの口のなかで起きる再石灰化と酸化のバランスが崩れていることを示す証拠なのだ。
歯周病
歯肉の領域の口腔マイクロバイオームのバランスが崩れた結果生じる。口腔内の生態系の悪化。不快な細菌を排除するある種の細菌のおかげで口のこの領域の健康は保たれているようだ。
◾石鹸
ヴァルコは、石炭酸石鹸などは細菌を殺すのではなく「眠らせる」だけではないかと言い、そんな石鹸による処理のあとで、眠った細菌の細胞を蘇生できることも明らかにした。
その手を石鹸で洗うと、石鹸は細菌の細胞膜に作用するとともに、細菌と手の表面とのあいだの結びつきをゆるめるので、よりしっかりと細菌を洗い流せる。
◾さらに言えば、ひょっとすると私たちの先天性免疫機構は、第一に感染を防ぐのではなく、むしろ、生物の生存に役立つ微生物のバランスを適正に保つように進化を遂げたのかもしれない。
◾多様性なくして自然選択は進みえないことを、ダーウィンは明らかにした。彼は多様性という概念と遺伝を苦労して結びつけようとしたが、それは適切だった(➡️メンデル)。
◾肥満の原因はふたつの支配的な細菌の門の存在量比。肥満マウスの腸マイクロバイオームではB(バクテロイデス門)対F(フィルミクテス門)の比の値(B/F)が小さかった。
つまり肥満というのは、このようにマイクロバイオームがより多くのエネルギーを処理できることによって生じているのだ。
◾B対Fの変化➡️アッカーマンシア·ムシニフィラという片利共生の有益な微生物の数が減る
高脂肪で育てたマウスに生きたA·ムシニフィラを4週間与えると、リポ多糖の濃度が下がって脂肪が減り、血漿グルコース(ブドウ糖)濃度も低くなった。
◾高脂肪食は腸の粘膜を荒すことで悪名高い。事実、腸の粘膜とその下にある腸自体の組織まで部分的に破壊する。どうやらA·ムシニフィラは、高脂肪食によってひどいダメージを受けた粘膜の修復をおこなっているようだ。
◾フラクオリゴ糖という分子を混ぜた高脂肪食を与えられたマウスはA·ムシニフィラが大幅に増える。
◾無菌マウスに糖分の多い西洋型の食餌を与えても、肥満にならない。
こうした実験マウスはそもそも無菌で、無菌の食物を与えられているので、食物から得るエネルギーの処理に影響する微生物が腸内にいない。つまり、マイクロバイオーム(あるいは、その欠如)は、個体が肥満になるか否かの決定に大きく影響するのである。
◾一方、今年発表された共同研究では、糞便ごと腸内細菌を難治性感染症患者の腸に移植すると患者の健康状態が改善されるものの、同じ腸内細菌を(リステリアやサルモネラなどの病原菌は排除し)カプセルに収めて服用させ、腸に到達させても効果がみられなかったという。

ブラック·スワン 下

◾解が存在するという情報自体が解の大きな要素なのかもしれない。
将来行われる発明を予想できたその日から、私たちは考えつく限りのあらゆるものが発明された世界に住んでいる。
◾私たちは何かが不可知だと理解することさえうまくやれない。
◾将来発見される科学技術がわかっていないと、将来は予測できない。でも、そんなものがわかっているならほぼ自動的に、すぐさま私たちはその科学技術の開発を始められる。ゆえに(エルゴ)、将来何がわかるのか私たちにはわからない。
◾誤差は偏って膨らんでいくとき、非常に大きな影響をもたらす。
◾私たちは読んだ本のことは吹聴するが、読んでない本のことは忘れてしまう。
◾また、アンカリングの例で見たように、被験者にマンハッタンの歯医者の数を推定してくれと言うと、彼らの推定はその直前に見せられたでたらめな数字、つまりアンカーに引きずられる。アンカーがランダムな数字なら、私たちの推定にはランダムな要素があることになる。
◾でも、過去にたどった道筋を未来が踏み外すなら、ありうる踏み外し方は無限大だ。
◾あなたが見たものを「一般化」し、知らないことを推測する方法がもはや一つだけでないのだとしたら、いったいどうやって推測をすればいいのだろう?その答えは明らかに「常識」に頼ることだが、でもあなたの常識は、果ての国の変数にうまく当てはまるように育まれていないかもしれない。
◾私たちが遺伝子を引き継いだのは、自分を振り返ってばかりいる頭のいい人についていった連中ではなく、我の強いバカについていった連中のようだ。
頭の狂ったやつらが信者を集めている。
◾私たちは物忘れがひどく、将来における自分の情緒の状態を予測するとき、過去に予測を間違った経験が活かせない。
◾私たちは、不幸が自分の人生に影響を及ぼす時間の長さをものすごく過大評価する。
◾理論的にはランダム性は本質だが、現実的にはランダム性とは不完全情報のことであり、第1章で「不透明」と呼んだもののことである。
現実には、ランダム性とは実質的に不完全情報のことである。
結局、ランダム性とは不知、つまり知らないことにすぎない。世界はぼやけていて、ちょっと見ただけでは私たちはだまされてしまうのである。
◾マーモットの素晴らしい調査で、社会の序列そのものが寿命に影響を与えることがわかった。
経済状態がどうだろうが、社会の傾斜が急だと傾斜の途中にいる人たちは短い人生を送る。勝者が彼らを殺すのだ。
1920年代、ライヒスマルク(と昔は呼ばれていた)は、ほんの数年のうちに、1ドル4マルクから1ドル4兆マルクまで下がった。為替レートのランダムな変動をベル型カーブで表現しても意味がないのをよく表している。
◾ベル型カーブにもとづいた不確実性の測度は、急なジャンプや断絶が起こる可能性とその影響を単純に無視してしまう。だから、果ての国では使えない。そういうやり方をすると、草ばかりみて(バカでかい)木を見過ごすようになる。
◾最大値が平均からそれほど離れないという合理的な理由がある変数なら、ガウス的なやり方を使ってもいいだろう。重力が働いてオッズがだんだん小さくなるとか、物理的な限界があってとても大きな値が観察されることはないとかなら、私たちがいるのは月並みの国だ。
◾彼ら(カジノ経営者)はギャンブラー一人に巨額の賭けをさせず、たくさんのギャンブラーに限られた大きさの賭けを何度もさせるほうを好む。
10億ドル抱えてカジノから出てくる人に会うことは、この宇宙の寿命が尽きるまでの間には、まずない。
◾講釈の誤りと同じで、過去のデータを見て相関や標準偏差を一つ計算すると、そういう値が不安定だなんてことには、もつ気づけなくなってしまうのだ。
標準偏差は数字を測るための単なる尺度だ。事象がたまたまガウス分布に従っている場合に、なんらかの関係が成り立つにすぎない。
標準偏差は、よく「シグマ」と呼ばれる。「分散」で話をする人もいる(話の内容は標準偏差と同じことだ。分散はシグマ、つまり標準偏差の二乗である)。
カーブが左右対称である点に注意してほしい。シグマがプラスでもマイナスでも同じ結果になる。
◾私の作戦は、ベル型カーブを隅から隅まで知り尽くし、どこなら使えて、どこでは使えないかを把握するというやり方だ。私は月並みの領地がどこまでか知っている。
◾つまり、ランダム性を標準偏差というたった一つの測度で表す(そしてそれを「リスク」と呼ぶ)ことはできないという結論だ。不確実性を描けと言われて、単純な答えなんてできない。人より前に出るには、勇気とこだわり、点と点を結ぶ能力、そしてランダム性を完璧に理解したいという高い望みがいる。そのうえ、ほかの人たちの見識を福音みたいに受け入れたりすることはできない。
◾ランダムな世界を見て、その性質を理解でき、計算の部分は重要な目的ではなくて方便にすぎないのがちゃんとわかっているなんて、そんな深みも科学の技ももった人はまったく見当たらなかった。そういう思想家に出会えるまで私は十五年近くかかった。白鳥をたくさん灰色にしてしまった人、マンデルブロである。偉大なるブノワ·マンデルブロだ。
◾私が言っているのは不透明ということだ。情報は不完全で、世界のジェネレータは見えないということだ。歴史は私たちに種を明かさない。私たちは推し量るほかないのである。
◾何度も言っているように、最初から使うと決め打ちするやり方は、犯罪の統計や死亡率といった、月並みの国に属する一握りの分野にしか使えない。性質のわからない時系列データのような、果ての国に属するものごとには使えないのだ。
◾人は何か手がかりになる数字がほしいのだ。
◾彼らのモデルは大きな外れ値が出る可能性を無視していて、だからこそ膨大なリスクがとれたのだった。
◾電車を捕まえようと走ったりするのをやめて、私は優雅で美しい所作の本当の価値を知った。自分の時間や自分の予定、そして自分の人生を自分で思いのままにするということだ。
◾電車を逃して残念なのは捕まえようと急いだときだけだ!同じように、ほかの人があなたに期待する成功に追いつこうとするのがつらいのは、まさしく、そんなことをしようとするからである。
◾自分の意思でイタチごっこや序列を捨てるのなら、それはイタチごっこや序列を外れるのではなく超えるということだ。
◾自分の土俵を自分で決めれば、自分の人生がそれまでよりずっと思いのままになる。
◾自分でつくったゲームなら、だいたいは負け犬にはならない。
黒い白鳥の文脈で言えばこうなる。ありえないことが起こる危険にさらされるのは、黒い白鳥に自分を振り回すのを許してしまったときだけだ。自分のすることなら、いつだって自分の思いのままにできる。だから、それを自分の目指すものにする。
◾つまり、リスク管理と最適化の結果、リスクは高まったのだ。

◾月並みの国は、ベル型カーブの上に建っている。
プラトン
三角形などの物体や、社会的には友情や愛といった、純粋で明確で簡単に見分けがつく概念に焦点を絞り、他方で、一見して複雑であり、扱いが難しい構造を無視すること。
◾不完全情報としてのランダム性
単純に言ってしまえば、何かの原因が不完全にしかわからないために推測ができないなら、それはランダムである。かならずしも過程が真に予測不能という性質を持つ必要はない。
◾振り返ったときの歪み
時間が先へ進んでいるのを調整せずに過去に起こったことを検証すること。後づけの予測可能性という幻想に結びつく。
◾リバース·エンジニアリングの問題
角氷を見て水たまりを推測するほうが、水たまりを見てもとの角氷の形を推測するよりも簡単である。この「逆問題」があるために、(歴史のような)講釈系の学問や説明は信用できない。
◾行きと帰りの誤り
存在する証明なし≠存在しない証明あり

◾「ものごとの原因は無限にありうるから、ものごとを完全な確かさで知ることはできない」。
◾私たちは生まれつき、検証の必要がないほどかけ離れた可能性を無視する傾向にある。
長期的な見方をするためには、遠い未来の子孫たちのためを思うヴィジョンや遠大な利他主義が必要だが、本能を考えれば、そういう旗を掲げて集団を導くのは難しかったはずだ。
◾このように、平均(能力と読み替えられたし)が果たす役割は、とてもとても小さいことがある。
◾「不確実性」
「原因を知るものは未来を理解する。しかし、神を除いてそんな能力を持つものはいない」
◾人生は凸性を持つ一連のデリバティブみたいなものだ。単純に言うと、悪いことへのエクスポージャーを摘み取れば、不知、つまりわからないことに振り回されにくくなる。

ブラック·スワン 上

◾人間が経験や観察から学べることはとても限られ、知識はとてももろい。
◾ブラック·スワン
1.異常。普通に考えられる範囲の外側。
2.とても大きな衝撃。
3.予測が可能だったことにしてしまう。
◾人間にはランダム性、特に大きな変動が見えない。木を見て森を見ない。どうてもいい細かいことばかり気にして、重要で大きな事件が起こる可能性は気にならない。
◾黒い白鳥は、予期されていないからこそ起こるし、だからこそ大変なのだ。
◾事件が起こるのは、まさしく起こるはずもなかったからだなんて、おかしなことだと思いませんか?そういうことから、どうやって身を守ったらいいんだろう?
◾最初からわかっていることなら、あんまりひどいことにはならない。
◾黒い白鳥は予測できず、黒い白鳥がいる世界に順応するしかない。
反知識、つまりわからないことに焦点を絞るなら、できることはたくさんある。要は思いがけない(いいことがある類の)黒い白鳥を集め、それに対するエクスポージャー(受ける影響の大きさ)を最大限まで高めるのだ。
技術革新は黒い白鳥。発明家や起業家がとる作戦は、全体を描く計画はあまりあてにせず、できるだけあれこれいじくりまわして、チャンスがやってきたときに、それを捕まえるというやり方だ。だからマルクスやアダム·スミスの徒には同意できない。自由な市場がうまくいくのは、人が積極的に試行錯誤をして運のいい思いをするのを認めるからだ。
ありとあらゆることをやってみて、黒い白鳥を捕まえるチャンスをできる限り集める。
◾知識を「理論化」するより、地面に足をつけて一歩一歩進むのが大事だ。
◾私たちは法則を学ばない。事実ばかり学ぶ。事実しか学ばない。どうやら、メタ法則(私たちは法則を学ばないといったような法則)がうまく理解できないようだ。私たちは抽象的なことをバカにする。しかも、熱心にバカにするのだ。
◾わかっていることと、わかっていると思っていることの差が危ない広さに達する。黒い白鳥はそんな地で生まれる。

◾読んだ本は、読んでいない本よりずっと価値が下がる。蔵書は、懐と住宅ローンの金利と不動産市況が許す限り、自分の知らないことを詰め込んでおくべきだ。
実際、ものを知れば知るほど読んでない本は増えていく。そういう読んでない本のコレクションを反蔵書と呼ぶことにしよう。
◾いざとなったら行動に出る人間だと証明できたら、いつもはナイス·ガイで「話のわかる」人間でいたほうが、ずっと効果的なのがわかった。
◾神々の行いを見ても、それだけでは神々の意志は量れない。あの皆さんの意志を推し量っても勘違いするのが関の山だ。
◾歴史や社会は流れてはいかない。ジャンプする。
私たち(や歴史家)は少しずつ変わっていくと信じ、だから予測できると思っている。
◾前向きの過程と後向きの過程。日記は事件が起こっている最中に書くもので、後になってからかくのではない。事前と事後の間には大きな違い。シャイラーの日記は、次に何が起こるかわからない状況で書かれた。彼の手にある情報には、その後の結果が混じっていなかった。
日記は、考えが更新されないまま固定できて、起こったことを後になって当時の文脈で考えることができる。出来事を描くための方法。
◾どんな形にせよ、私たちのまわりの世界を単純化すれば大変なことになる可能性が生まれる。不確実性の源をいくつか無視することになるからだ。世界の成り立ちを見誤ってしまう。
◾めったに起こらず、思ってもみないときに起こる事象に賭けるというやり方だ。
ただ、私は普通のクウォンツとまるっきり逆のことをやっていた。モデルの欠陥や限界を研究し、モデルが破綻するプラトン性の境目を探っていたのだ。

◾黒い白鳥の専門的な呼び名=帰納
◾世の中の仕事は、仕事量を増やさなくても稼ぎを何桁も増やせる仕事(作家、投機家、サギ師)と、仕事量と仕事時間(どちらも供給には限りがある)を増やさないと稼ぎが増えない仕事、つまり重力に縛られた仕事(パン屋、医者、売春婦)に分けられるのだ。
前者は、うまくいけば確かに素晴らしいが、競争が激しく、格差は広がり、まぐれにものすごく振り回され、一部の人以外手元に何も残らない。
◾彼によると、残念ながら、私たちが能力だと思っているもののほとんどは、結果から後づけで決められる。映画が俳優をつくると彼は言う。そして、非線形な運が映画をつくるのだ。

◾黒い白鳥に引っかかるのはカモ。期待との関係で起こる。(あなたが賢ければ)科学で黒い白鳥は取り除けるし、開かれた心を持っていれば黒い白鳥に引っかからない。

◾でも、記憶と時間の矢はよく取り違えられる。過去の記憶に引きずられる。私たちは講釈に合った形なら過去の出来事をよく覚えている。でも、その講釈の中で、因果の役割を果たさないように見える出来事のほうは無視してしまいがちだ。記憶の中で過去の出来事を思い出すとき、私たちはその答えを知ったうえで思い出している。これでは、事後の情報を無視したまま問題の解決を考えることは文字通り不可能だ。出来事の本当の流れではなく、再構成した形でしか思い出せない。
記憶は、自分でダイナミックに更新を行う機械みたいなものだ。思い出すたびに事象の内容は変わっていく。
◾筋立てのおかげで現実の姿が歪められていないか、もっとちゃんと調べないといけない。
講釈と因果を語るマスコミや、キャッチコピーで勝負する類の一般向けインテリは、世界を決して簡単にはせず、むしろ例外なく実際よりも複雑にしてしまう。
◾一直線に進歩するなんていうのはプラトン的な考えであり(線形)、普通はそういうものではないのである(非線形)。
◾一方、動物と同じように、自信がないのがちょっとでも態度に表れると、はっきりそう言わなくても自信がないのが伝わってしまう。コツは、できる限り上品な物腰に出ることだ、
つまり、自分を測る物差しは自分でつくるのだ。
何を言うかではなくて、どう言うかが大事なのである。
◾つまり、私たちの目にはいるものと、実際にそこにあるものの違いがバイアスだ。
私がバイアスと言えば、それは、現象を一貫して正か負のどちらかに偏らせて見せる、システマティックな誤差のことだ。
マスコミはそういう歪みを大量生産している商売。
◾そもそも伝記というもの自体、特定の特徴とその後の事象をでたらめに結んだ因果関係でできている。
◾訓練と学習で物言わぬ証拠の落とし穴は避けられるようになると(証明はできないけれど)信じるようになった。
◾私たちは因果と言う発想にどっぷり浸かっていて、まぐれを受け入れるよりも、なぜならと口にするほうが賢いと思い込んでいるからだ。
教育制度で一番我慢ならないのは、生徒にものごとの説明を搾りださせ、判断を控えたり「わかりません」と口にしたりするのは恥ずかしいと思い込ませるところだ。
なんらかのランダム性の尺度を持ち込むことを学ぶべきだ(ランダム=私たちにはわからない=無知を認めること)。
「なぜなら」なんて、めったなことでは口にしてはいけない。歴史を振り返ってみた場合ではなく、実験から「なぜなら」がわかった場合だけにしておこう。
話はそんなに単純じゃないよ。「なぜなら」を疑ってかかり、注意して扱おう。物言わぬ証拠がありそうな状況ならとくにそうだ。
◾私たちがものごとを認識する仕組みは、目の前に転がっていないものや、情緒的な関心を引かないものには反応しないことがある。
◾ドクター·ジョンは完全に枠の中でものを考える。与えられた枠の中だ。デブのトニーはほとんど完全に枠の外だ。
オタクとは、どうしようなく枠の中でしか考えられない連中のことだ。
教室で得られる知識は往々にして不毛でどっちつかずだ。
ドクター·ジョンみたいな人たちは、月並みの国の外で黒い白鳥を起こすことがある。彼らの頭はがちがちに固まっている。
◾だからこそカジノは、ハイテクを駆使した監視システムで、イカサマ師やカード·カウンティングをする人、あるいはなんとかしてカジノより有利に立とうとする人たちを追いかける。
◾私の考えでは、ギャンブルは消毒されて飼いならされた不確実性だ。
◾第5章で論じた追認バイアスのせいで、私たちは確率論でうまくたどれるゲームを例として使い、そこで見たことが一般にも当てはまると思い込む。さらに、日常一般で運の役割を過小評価しがちなのと同じで、私たちは偶然に左右されるゲームでは運の役割を過大評価しがちだ。
◾動物からできるだけ遠く離れた高級な生活へ近道をしたければ、講釈を捨てなければならない。つまり、テレビを消して、新聞を読む時間はできるだけ短くし、ブログは無視しなければならない。自分の判断をコントロールできるよう推論を行う能力を鍛えないといけない。大事な決断をするときはシステム1(ヒューリスティック、つまり経験にもとづくシステム)を追い払わないといけない。目立つものと実証されたものの区別ができるようにならないといけない。
毒に満ちた世界と縁を切れば、ほかにもいいことがある。もっと幸せになれるのだ。
◾不確実性を相手にするなら、「焦点を絞って」しまうとカモになる。➡️予測の問題。講釈ではなく、予測こそが、私たちが世界を理解できてきるかどうかの本物の試金石になる。

◾私たちが、過去を振り返って講釈したり、自分は過去のことをよくわかっていると思い込めるように物語をつくったりするのがどれだけうまいかは、すでに説明した。
◾占い師でも、「論文多数」の(ダルい)学者でも、インチキ数学を振り回す役人でも、不確実性の中を道案内してくれる人が私たちは大好きだ。
◾「未来は昔のままじゃない」。
◾第6章で見たように、人は異常な事象、とくに具体的な姿を持った異常な事象を過大評価する場合がある(たとえば、生々しいイメージが頭に浮かぶ場合)。もうわかるだろうが、保険会社はそれを利用して儲けるのだ。だから、私の一般的な考えはこうなる。稀な事象は見込み違いに大きく左右される。普通は深刻に過小評価されているが、ときどき深刻に過大評価される。
◾推測(私は知らないが誰かは知っているかもしれない)と予測(まだ起きていないこと)は同じものだ。
◾情報の主な効果。情報は知識の妨げになる。情報が増えても予測の精度は高まらない。
◾繰り返しのない過去の調査にもとづいて未来を相手にする仕事だと専門家の問題が起こる。
◾論文によると、証券会社のアナリストは何も予測できていない。前の決算期の数字を、お気楽にそのまま次の期の予想に使った場合と、何ら変わらない成績だった。
もっとひどかったのは、予測の誤差はアナリスト間の予想の違いよりもずっと大きかったことだ。つまり、アナリストたちは群れたがるということである。普通、予想同士の差は予想と実績の差と同じぐらいのはずなのだ。
◾「専門家」の一般的な欠陥。自分が間違ってきたときは、異常なことが起こったからだと言って状況のせいにするか、もっと悪くすると、自分が間違っていたことさえわからずに、また講釈をたれてはしたり顔をする。自分がちゃんとわかっていなかったんだとは、なかなか認めない。
◾うまく行けば自分の能力のおかげだと思い、失敗すれば自分ではどうにもできない外生的な事象、つまりまぐれのせいにする。いいことには責任を感じるけれど、悪いことには感じない。
ハリネズミとは、ほとんどありえないけれど起これば重大な事件一つに焦点を絞る人だ。ハリネズミは講釈の誤りに陥って目がくらみ、一つの事象にとらわれてしまってほかの可能性が見えない。
彼らの考えはキャッチ·フレーズみたいに心に響く。有名人にはこの手の人が多い。ゆえに(エルゴ)有名人は、平均ではほかの予想屋よりも成績が悪い。
◾対するキツネはいろいろなことがわかっている。
私はハリネズミになれなんてお勧めしない。むしろ頭の開かれたキツネになることをお勧めする。歴史はありえない出来事でいっぱいなのはわかっても、今後どんなありえない出来事があるのかなんて、わからないでしょう。
◾現実の世界の出来事の予測。「統計的に高度な方法だろうが複雑な方法だろうが、単純な方法よりも正確な予測ができるとは言えない」。
◾私たちは、何かの方法がごくごく稀にうまくいくと、そればかりに目をとられてしまう。うまくいかない場合のほうがずっと多いのに、そっちは目に映らない。
◾アンカリングと呼ばれる頭の仕組み。何か数字をでっち上げて、それを「錨(アンカー)」にし、不確実性に感じる不安を抑える。
私たちは基準点を使って考える。たとえば売上高の予測をたたき台にして、そのまわりに信念を積み上げる。アイディア独立に評価するより、基準点と比較して評価したほうが頭を使わずにすむ(システム1だ!)。何か比べるものがないと、私たちは考えることすらままならない。
◾カラヴァッジョの「女占い師(絵)」。未来を教えてくれる人に、私たちはいつもひっかかる。この絵での占い師は、カモの指輪を盗もうとしている。
予想屋には、社会に犯罪者よりもひどい害悪をなす人までいる。

黄金の犬たち


◾同社は、純潔種の犬がまだ珍しかった時代に、海外から血統書付きの犬を大量に輸入し、日本に様々な犬種を普及させた。
◾「犬の販売は、そんなに儲かるものですか」
私が訪ねると、Mは狡猾そうな笑みをうかべた。
「犬が好きな人は、お金がなくても飼いたくなるもんですよ」
◾「この男は、犬が大嫌いで抱き上げることもできなかったんだ。そんな人間が、犬屋をやっているんだから、世の中わからないものだね」
◾この男も、犬に愛情が足りないからこそ平然と子犬を狭い檻に押し込め、売買をつづけてきたのかもしれない。
◾その先鞭をつけたのが、犬を金融商品にして急成長をとげた東京畜犬であった。最盛期の昭和44年には社員1500人、顧客数108000人、年商70億円に達した。
◾東京畜犬が始めたこと
·杜撰であった血統書の管理のコンピュータ化
·残飯➡️ドッグフード(そのドックフードを買うと、犬が病気になった場合、開業獣医師が掲げる協定料金の二割五分で診察を受けられる)(同社の犬を飼っていれば、生命保証制度がつき、一年間の無料往診、三ヶ月以内に死亡すれば無料で代わりの犬をわたされる➡️アフターサービスといっても、東京畜犬の犬を同社の社員獣医師が手当てしているだけ)
·野犬撲滅運動の一貫として無料の去勢手術
·老人ホームや孤児院への犬の寄付
·イギリスから訓練師を招いて本格的な盲導犬育成の訓練機関をつくる
◾しかし、イギリスが海外に輸出する犬の七割を東京畜犬一社に買い占められていたことから、英国大衆紙は日本人が犬を虐待しているという反日キャンペーンを執拗に展開し、愛犬家の多いイギリス人に根強い偏見を植え付けてしまった。やがて、それらの批判が契機となって動物虐待を罰する法律が生まれた。東京畜犬は、期せずして日本に異なる文化の動物観を持ち込むことになったのである。

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◾JKCとは、戦後まもなく設立された社団法人全日本警備犬協会と社団法人全日本畜犬登録協会の対外名称で、そこでは犬の血統登録やドッグショーの開催を実施していたが、基本的には畜犬業者の利益を代弁する団体にすぎなかった。
◾東京畜犬は規模を拡大するために軋轢を生んでいた。「野犬のいない国づくり」を合言葉にして、野犬撲滅運動を開始したが、こうした非営利活動にも妨害行為がくわえられた。
◾趣意に賛同した日産自動車からは、手術台などの設備がついた特注のライトバンが寄付され、この無料去勢手術車で全国を巡回するようになった。
手術車の車体には「世界に誇るアフターサービス、東京畜犬株式会社」。しかし、アフターサービスといっても犬の所有権は同社にあるため、同社の犬を同社の社員獣医師が手当てしているにすぎなかった。
◾野犬撲滅運動も、会社の利益と深い繋がりがある。根気よく飼犬の繁殖能力を根絶していけば、やがて犬の数が極端に少なくなってゆく。飼犬を去勢することは、東京畜犬の市場を開拓する行為でもあった。
◾「獣医の生活は、けっこう苦しいですね」
開業獣医師の大半は、診察だけで生活してゆくことができないので、ドッグフードや飼育道具を売ったり、中には犬の販売にたずさわる例もあった。飼犬の多い恵まれた地域は、獣医師会の幹部によって占められ、新規の開業が許されないようになっていた。
◾東京畜犬では、そうした野犬による被害をなくし、「繁殖以外の目的の犬は断種手術をしないと飼育できない」という法律が施行されるまで、全国を巡回し無料で犬の去勢手術をつづけるという。
◾愛知県獣医師会の役員の多くは、明治、大正生まれで、戦前から牛や馬といった産業動物しか診察してこなかった。戦後は、県庁、保健所、畜産団体、製薬会社などに勤務し、愛玩動物の治療とは無縁にすごしている。獣医学の本流は大動物にある、といった風潮が大勢を占め、犬、猫相手の開業獣医師を見下す傾向があった。
◾「うちの会社を悪く言っているのは、犬屋さんや開業の獣医さんたちです」。
畜犬業者には、犬を商売の道具としか考えぬものが横行していた。彼らが東京畜犬に敵対心をいだくのも、自分たちの生活をおびやかす強力な新興勢力だったからである。
◾資産家の道楽であった純血犬の飼育は、戦後十年をへて大衆化の兆しがみえはじめた。それまで純血種の犬を飼っていても、血統書の登録をする習慣などなかった。
◾その頃から、飼い犬の商品価値を高めるために、ドッグショーがさかんに利用された。犬が賞をとると、種付け料などが跳ね上がるからだ。「金で左右される犬のコンテスト」。
審査員は、畜犬業者ばかりだったので、自分につながりの深い犬を入選させているという噂は、いくらJKCが否定しても絶えることがなかった。
◾イギリス人は、飼犬を家族の一員とみなすため、ペットショップの店頭で犬が展示されることなど考えられなかった。狭い檻の中に入れること自体が拷問にあたるため、ほとんどの店は犬の売買には一切手をつけず、ペットフードやペット用品しか置かない。
彼らにとって東京畜犬のように犬を利殖の対象にする商法は、とうてい受け入れられるものではなかった。➡️犬の虐待をめぐる反日運動が英国中にひろがる。
◾東京畜犬は、ホッジマンに都合の悪い場面を一切見せないようにするため動物実験施設の視察に関しては、管理状態が杜撰な東京大学農学部を日程からはずし、きわめて管理の行き届いた慈恵医大に変更してしまった。その効果は、まもなくあらわれた。
◾従来の犬店では、客から注文がくると、犬の取り引きの仲立ちをする仲買人に、客が希望する犬種の在処を問い合わせることになっていた。
都内には百名あまりの仲買人が跋扈していたが、彼らに支払う口利き料は、市販価格の五%が相場で、一頭の売買に複数の仲買人が介在すると、それだけ犬の仕入れ価格が高くなってゆく。

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◾英国人にとっては、注射を打って安楽死させることよりも、野犬にする方が虐待行為に近かった。
◾東京畜犬は、愛犬雑誌に「より良い犬を繁殖していただくために、現飼育犬の下取りもいたします」という広告を出していたのだ。
◾日本人は、欧米人と異なって愛犬を安楽死させることに抵抗がある。野犬が増えていったのは、生まれてきた仔犬を飼い主の手で殺すことができなかった結果でもあった。
◾東京畜犬を批判すると、動物病院の前に「無料去勢避妊手術車」と書かれたライトバンを置かれることがあった。

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◾西洋犬が人になつきやすいのは、警戒心の強い犬を淘汰し、おとなしい犬同士を何代にもわたって交配させてきた結果であった。
◾野口は、野犬撲滅を唱えながら、野犬を大量につくってしまったのである。
◾「東京畜犬の仔犬に、犬屋が集めてきた死んでしまった犬の血統書をくっつけて売るわけですよ」
菅野は、矢部のしたたかさに唖然とした。矢部は、被害者の救済活動と称しながら引き取った仔犬で儲けていたのである。彼は、菅野の足がわりになって、かいがいしく車の運転をしていたが、決して油断してはならなかった。
◾東京畜犬と敵対関係にあったJKCは、この混乱に便乗して新会員の獲得をもくろんでいたのだ。
◾しかし、血統書の歴史をたどると、繁殖や商品取引には関係がなかった。イギリスにケンネル·クラブが誕生して血統書を発行するようになったのは、十九世紀半ばから盛んになってきたドッグショーでくりかえされてきた不正行為を防ぐためであった。出陣するたびに犬の名前を変える者が目立ってきたので、犬の出自を証明する「犬籍」登録が必要になったのである。その後、血統書は品種を改良する目安となり、二十世紀になると、各国で発行されるようになった。
日本では、昭和の初期から犬籍登録が開始されていたが、中には雑種を証明する記載もみられるなど、血統書にはさほど意味がなかった。しかし、戦後、純血種の飼犬が大衆化するにしたがって、血統書は犬の商品価値を証明するものになった。そのため、野口は東京畜犬の倒産後も、血統書をつかった新たな事業を思いついたのである。

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◾が、JKCと接するうちに、その体質に辟易させられた。彼らには、東京畜犬を批判する資格などなく、犬を利権の道具に使っていたからである。
◾JKCでは、飼育犬を奨励するために総理大臣をはじめ外務、厚生、文部、通産の各大臣から贈られるトロフィーと賞状を出してきたが、毎年、全国各地で開いているドッグショーで、金さえ積めば簡単に受賞できる偽の大臣賞とトロフィーを乱発していた。
◾JKCの役員になると、こうした利権が付きまとうので、役員間の揉め事は絶えなかった。
◾業者たちは、ペットショップをかまえて日常的に犬を売買しているが、領収書を発行しないことが常識になっていた。生体をあつかう仕事なのに、獣医師のような資格は必要なく、誰でも簡単に開業できる。そして、客の足元をみながら価格を決めてゆく。東京畜犬のような近代化された企業が進出する素地は十分にあったのである。
◾しかし、英国大衆紙のキャンペーンが一つの契機となって、昭和48年10月、動物虐待を防止する「動物の保護及び管理に関する法律」が議員立法として制定された。「動物を虐待あるいは遺棄した者は、三万円以下の罰金または科料に処する」(第十三条)と定めてあったが、「虐待」の定義はなかった。動物愛護団体は、施行後まもなく形骸化の可能性を指摘した。
◾東京畜犬は、日本に様々な犬種と栄養価の高いドッグフードを普及させるきっかけをつくった。それは、業界関係者からみた唯一の評価であったが、愛犬家には批判されつづけてきた。同社の出現は、人々に純血種の犬が投機の対象になることを気づかせてしまったのだ。純血種の大衆化は、犬の金融商品化でもあった。東京畜犬の倒産後、犬の競り市がもうけられ、生鮮食品と同じように犬の生体が取り引きされるようになった。
◾その後、犬の繁殖力ではなく、強引な勧誘によって会員を鼠算式に増やしてゆくマルチ商法が社会問題になり、弁護士の中村は被害者の救済に奔走するようになった。東京畜犬事件と同様に、被害者同盟が結成されたが、ここでも最後まで熱心に活動する者は少なく、似たような道をたどった。自らの問題さえ解決すれば、活動に見向きもしなくなる点が共通していた。東京畜犬は、相次いで起きる金融詐欺事件の結末を占う役割を担うことになった。のちに登場する悪徳商法を予期するように、あらゆる要素を包括していたからである。
◾商品に生命が宿っていることが、ほかの事件と決定的に異なる点であった。