犬の心へまっしぐら

犬の心へまっしぐら
犬に学び、共感し、人間との完璧な関係を築くために

アンジェロ・ヴァイラ、泉典子 訳
中央公論新社
2012年

◾どちらが優位に立つかという考え方には基づかない、精神的社会的教育のための訓練を提案。
◾これからは人間が命令するのではなく、動物のほうが教師になるのだ。
◾ThinkDog(ジョン·フィッシャー)とは文字どおり「犬になって考えること」であり、犬と一体になって、ものごとを犬の目で見るということだ。
◾犬に自分の考えを押しつけるのではなく、犬の世界に入り込むことができれば、訓育は素晴らしい道程になり、やがては目を見張るほどの成果が生まれるのだ。
◾わたしが犬からさまざまな行動を引きだすことができても、自分を調教者だと考えないのは、まさにそのためなのだ。
◾私たちの頭は、認知の仕方を再検討することによって進歩する。
◾犬との関係を考えるうえでぜひしてほしいのは、東洋の哲学に耳を傾けることだ。いわく、「大事なのは、することではなく、あることである」。こうして私たちは、囁く人に行き着く。
◾その人の幸福と飼うことにした犬の幸福が、同じ歩調で進んでいくようでなければならない。
◾わたしは無数の犬たちが、美しさやコンクールのために、精神的肉体的遺伝的に粗末に扱われる実情を、仕事をしながらこの目で見てきた。
◾犬を利用し、四本足の友人であるべき相手の幸福より自分の目的のほうを優先させる人は、愛しているつもりになっているだけである。
◾犬の要求に応えるには、科学が教えることを基礎にして犬への知識を深めながら、一方で、顔や姿勢やしぐさや行動で表されるものを含めた、身体言語を注意深く観察することである。
◾人類は、戦いの方法も、漁のテクニックも、飛行の形態も、テリトリー防衛も、カムフラージュも、動物たちから教わっている。動物は、メタファーやおとぎ話や物語の力強いモデルやシンボルになり、紋章や旗やフリーズやロゴマークのイメージ喚起材になってきた(たとえばフェラーリの子馬やジャガーのデザイン)。まるで動物を表現することによって、彼らの力を自分のものにしたいと願っているかのようである。
◾犬との関係は一種の敷居であって、その敷居を一度またいだら、この世界がそれまでとは違ったふうに体験でき、犬を知らなかったときには縁のなかった資源や考え方や経験を自分のものにできるのだ。
◾ぼくらは、犬がいろんな行動の仕方を探求するに任せておくべきだ。それにはまず犬をもっと信頼しなければ。
◾犬が命令には完璧に従うが、命令されなければ何をしたらいいかわからないような訓練の仕方は、日常生活ではほとんど役に立たない。
◾どんな状況にも適応できる能力を育てることを目指す。いろんな状況を体験させ、「命令」ではなくガイドしサポートすることによって。
◾犬の「主人」ではなく、経験の媒介者。
◾リモコンを手から離す。もっと多くの時間を、おもしろくて楽しいリラックスした環境で過ごす。声を出して笑う!
◾原則。まず欲求を満たし、それからトレーニング。
◾けっして引っ張ってはいけない。どんなことがあっても。
◾しかしすべてのカギは、犬がボールか食べ物かを、選べるようにすることにあった。スピーノは、もし彼が望むなら、わたしが喜んでボールを返すことがわかったので、ボールを食べ物より大事なものだとは考えなくなった。つまるところ私たちも、それをあまり大事なものだと思っていないのだと、彼に確信させたのだ。
◾かむことを禁じられる時期に、自制の能力を身につけておかないと、その後に深刻な影響を及ぼすことになる。犬の活動過剰の問題の根っこはここにあるのだ。
◾誕生の際にはそれにふさわしい環境を調え、出生後少なくとも二ヶ月は、子犬の成長のために良好な環境を調える。この時期に子犬が暮らす環境は、彼らの認知システムがほどよい刺激を受けながら順調に発育するようなものでなければならない。
◾間違い·その6 犬と過ごす時間が短い
犬は社会的動物だから、私たちと一緒に時間を過ごすことが必要である。
もし誰かがわたしに、一日中仕事をしているから、犬と一緒にいられるのは早朝と夜だけだと言ったら、犬は飼わないほうがいいと、力を込めて言うだろう。
◾暴力はいつでも、ことをややこしくしてしまう。
◾間違い·その9 周囲の忠告を鵜呑みにする
災難なのは、間違った忠告をまともに聞いていると、状況がさらに悪化して、ツケを払うのは犬だけではなくなることである。もし何か支障が生じたら、犬を真から理解するのに自分のすべてを懸けている人に耳を傾けるほうがいい。
◾間違い·その10 力で支配しようとする
怒鳴る、罰する、引っ張る、たたく、手首をつかむ、「ボス」を気取る、などということは、モラルの点から避けるべきであるだけでなく、逆効果でもある。
忘れないでほしいのは 罰は学習を妨げ 関係を壊してしまうこと。並外れた成果を上げたければ、 並外れた手段を使うことだ 知識とか、 伝達能力や共感などの。
これらはどれも、服従を教える調教と訓育とを区別するものなのだ。
◾何か問題が生じて専門家(たとえば調教師)を訪ねると、その人なら正しい方法を知っていると思い込んでしまう。
◾犬はそうした扱いを受けると、頭のなかの複雑な作業など早々にあきらめて、私たちという人間に不快感や不信感を覚えるようになる。
◾強制的方法は軍用犬の調教に由来する。
◾軍用犬のが左側にいなければならないのは、人が右手で武器を握ったり、敬礼したりしなければならないからだ。毎日の暮らしのなかでは、犬は右でも左でもいいし、まえにいてもいい。
◾わたしは自分の仕事のなかで、「支配さること」という言葉を「信頼されること」という言葉に置き換えたいと思う。
◾力よりも信頼感
「信頼されること」ステータスは押しつけるものではなく、勝ち取るもの。自分には責任があり、犬の恐怖心をあおるのではなく、信頼されるようになるにはどうすればいいか。恐怖心から敬意を払ってくれる犬がいいのか、信頼しているから言うことを聞いてくれる犬がいいのか。
◾欲求を満足させる。頼まれるよりまえにしてやる(「感情の当座預金」)。犬を守り、しっかりした土台になる。不愉快な状況を避け、脅したり圧迫感を与えたりする犬からは遠ざけ、私たちの行動について誤った期待は抱かせず、筋を通し、体罰を与えず、信頼していいのだと犬に悟らせる機会をたくさん作る。
◾強制ではなく提案をする。
◾リーダーシップとは、犬が仲間になりたくなる 環境を創る能力のことである。
◾リーダーシップとは 自分の潜在能力を伸ばしながら 他人のそれも伸ばすことを助ける能力である。
◾あなたの感情は周囲の人に濃厚に感染するウイルスみたいなものだから、犬とその行動にも響いてくる。
◾「[······]他人をすでに十分覚醒した人として扱うことにしたとたんに、その人の反応はより前向きになり、そうしなかった場合よりよほど深い信頼感と精神的平安を示すようになる。実を言って、この現象のなかにはマジックなど一切ない。他人の潜在力がきわめて豊かであると考え、その人がそれを十分に使うことができるかのように振る舞うだけで、相手は持てる力を最大限に発揮するようになるのだ(ヨンゲイ·ミンゲール·リンポチェ『「今、ここ」を生きる』)」
◾他人に対する私たちの思惑は、言葉を通さない(身体言語や声の調子の)コミュニケーションになるわけである。
◾ローゼンタールの実験で明らかになったのは、学生たちのラットの扱い方が、その思い込みに応じて違っていたということだ。頭のいいラットを委されたつもりでいた学生たちは、ラットに親しみを感じ、より細かい気遣いでたびたび触れた。
◾相手を信じる
犬に対して私たちが示す態度ほど大事なものはない。それはどんなテクニックの力にも勝る、犬との関係の根幹をなすものであり、その大方が私たちの精神状態と思い込みから生まれる。
言葉によらないあなたからのメッセージは、たとえあなたは気づいていなくても、彼の認知や他者との関係や行動の進歩を支えるように意図されているはずだ。
◾わたしが考える教育の理想は、するべきことを四六時中指図しなくても、犬がひとりで適切な行動を選べるようにすることだ。
◾最大の壁は犬の能力への信頼が足りないことと、あらゆるしぐさを管理しようとする気持ちだと思う。
◾何をするかの指示はしない。次の動きは犬が選ぶ。カギになる言葉は信頼である。
◾幸福は学習すれば身につく活動であり能力なのだ。
◾犬はほめ言葉を、二秒まえまでしていたことに結びつけるのではなく、今そのときにしていることに結びつける。
◾過保護は経験を乏しくすることにつながる。
◾わたし個人としては加工品(揚げ物やドッグフード)より自然のものを好む。
◾本来なら犬はけっして仲間から離れたりはしない。犬にとってひとりでいることは自然でないから、鎖でつないでおいたり、狩りの季節まで柵に入れておいたり、庭の犬小屋にひとりで置いたりするために犬を飼うことは、けっしてするべきではない。
◾感情の領域とは、グループ全体が感じる感情の総合体のことである。感情はウイルスのように伝染し、あるメンバーからほかのメンバーに移って、そこにいるすべてのメンバーに大きな影響を与える。私たちは自分自身や、とりわけほかのメンバーのために、自分の感情を責任を持って管理しなければならない。
犬は人間の気持ちを
スポンジのように吸い込んでしまう。
◾「それぞれの宇宙」。三億匹の犬に、三億個の世界。
◾思い込みと価値観。たとえば、近づいてくる人を、好ましい社会的接触と受けとる犬もいるし、恐るべき脅威と受け取る犬もいる。そこで思い込みを変え、犬がその出来事に与える意味を変えて、反応の仕方を変えるのだ。
◾「犬が求めるのは親であって、集団のボスではない」テンプル·グランディン “Animals make us human”
◾あなたの犬に落ち着いてもらいたかったら、まずあなたが落ち着いていることだ。
◾人間の脳と犬の脳は、感情および愛情のやりとりに関しては、似たような構造を持っているのだから、犬にも二義的愛着対象がいると考えることは理に適っている。
ブダペストのエトヴェシュローランド大学動物行動学科のヴィルモス·チャニは、この件に関して、犬と人間の愛着関係を研究した。彼は、人間の子どもと母親のあいだにある行動の図式と同じものが、犬にもあることを明らかにした。しかしそれと著しく異なるのが狼の行動である。そこで、家畜化のプロセスが犬を小児化し、人との関係においては永遠の子犬にしてしまったらしいという、それまでの仮説が証明された。
このことは、私たち飼い主が、犬にとっては、真にしっかりした土台になれるということなのだ。不安なときや怖いときには私たちのそばにいたがるし、周囲を探検したり、経験しながら最良の方法で学習をしたりするとき、とりわけ心理面で、私たちを必要とするのだ。
そのうえあなたもあなたの犬も、きわめて効率のよい伝達路に恵まれているので、それを通って、つねに感情と精神状態が伝わっているのである。
◾「しっかりした土台」。ボウルビーの著作や、愛着についての科学的文献で手に入ったものを研究するうちに、犬が自信を持って健全に賢く育っているとしたら、それは遺伝に助けられているだけではなく、最初は親としての相手(子犬の母親)への愛着に、次には飼い主という愛着の二義的存在との結びつきに助けられているのだと、確信するようになった。
◾選択肢は多い方がいい。多様性不可欠の法則。
もし方法がふたつだけなら、ジレンマに陥るだろう。モーシェ·フェルデンクライスは、ひとつのことをするには、少なくとも三通りの方法を知っていることが必要だと言っている。
肝要なのは多様性である。自由になる選択肢が多いほど、成功の確率が高まる。
犬を座らせる方法は多い方がいいし、あなたがはぐくんできた能力も多いほうがいい。できるだけ多くの元手を持つこと。なぜなら元手は選択肢になるのだから。
これは多様性不可欠の法則が支配するサイバネティックスを見てもわかる。この分野では、相互に作用するふたつのシステムがあるときには、選択の幅が広いほうが他方を制する。あなたとあなたの犬がふたつのシステムであるとして、もしあなたがガイドになりたければ、学習を重ねるほうがいい。
いずれにしても、多様性の法則は、個人の暮らし、職業、スポーツなど、生活のどんな分野でも価値があるものだ。
◾その秘訣は、あなたがまず望ましい精神状態に自分を導き、それから動きや呼吸のまねをして、それができてからガイドすることである。
◾知識がすべて、愛情が残りのすべて
◾「わたしがこの犬を選んだのは相棒にするためだから、たとえいちばん楽なコンテストでさえ勝てなくても、犬を替えることはしない」
◾あなたが知識だけに気を取られていたら
ほどなくあなたは、心がハシバミの実のように
ちっぽけになっていることに気がつくだろう。
◾ThinkDogとは、犬が考えるように考え
彼の世界に入り 彼の目でものを見 その新しい視点から
人間としての経験を豊かにすることだ。
ある意味でそれは、神秘的な体験である。