犬はあなたをこう見ている

◾犬の行動を理解するときに必ず目安とされるオオカミの群れは、人間が介入してメチャクチャにしない限り、仲むつまじい家族の集まり。
◾犬の新しい科学では、犬は人間が思っているより頭の回転がよいところも、逆に回転の悪いところもあることがわかった。たとえば、犬は人間のボディランゲージをとてもきめこまやかく読みとれるので、人間がしようとしていることを不思議なほど正確に予測できる能力をもっている。その反面、今という瞬間にしばられ、過去や未来に思いをはせることができないから、自分の行動をさかのぼって考えたり、行動の成り行きを考えたりはできない。
◾現在では、オオカミの群れ(パックと呼ばれる)の大半はただの家族の集まりだとわかっている。
◾群れの本質は支配ではなく協力のようだ。
◾雄と雌一匹ずつの暴君が率いる階層社会ではなく、何事もなければ若者が進んで両親を助け、弟や妹の子育てを手伝うという、円満な家族。
◾オオカミの親和行動。体勢を低くしてしっぽを下げながら近づく。耳を少しうしろに傾け、しっぽの先を勢いよく振り続ける。愛情のこもったつながりを強めるメカニズム。
◾とらわれの身のオオカミの群れを観察したことで、オオカミの行動を誤って判断したばかりか、オオカミの家族構造そのものについてまで根本的な誤解が起きてしまった。そしてその誤解のせいで、犬に対する人々の見方までゆがめられてしまった。
◾だから「アルファ」という言葉は、通常の群れ(野生)の親オオカミにあてはまる限り、親の役割以上の地位を表しているわけではない。この言葉が意味をもつのは、人間に飼われているために家族の結びつきを失ったオオカミ集団に特有の、闘いに勝ち残った者を表すときだけだ。ペットの犬について、また犬と飼い主との結びつきを理解するのに適しているのは、このふたつのモデルのどちらだろうか?自然から切り離された動物園の群れに基づいた「アルファ」モデルか、いっしょに暮らせる仲間を自由に選べる野生のオオカミの行動に基づいた「家族」モデルか?
◾この本では、犬の本来の性質を示す生物学的特徴を、幅広く探していくことにする。
◾家族で暮らし(若者世代は、両親の次の年の子育てを手伝うことが多く)、鋭い鼻をもち、知能が高くて適応力があり、狩猟をするかゴミをあさる、またはその両方の習性がある。
◾犬はイヌ科の動物であり、たまたま今生きている一番近い親戚がオオカミだと考えることにしよう。
◾犬にはアジアとヨーロッパの色々なオオカミの血が混じり合っている。ただしそこには、アメリカのシンリンオオカミの血だけは含まれていない。だから、今も生息しているオオカミのなかに、犬と犬の行動を理解するための完璧なモデルとなるようなものはいないのだ。そのうえ飼いならしには長い長い年月がかかっているので、一万世代以上も前にオオカミから枝分かれしたあと、犬には根本的に変化するチャンスがあった。
◾ただし、オオカミは厳密な肉食ではないことを思いだそう。ときどき骨や肉のかけらを口にできれば、植物性の食べ物で問題なく生きていける。
◾現代の犬は、ぼくの仮説が正しいとすれば、初期に生息していたオオカミのほんの一部の子孫。それらの祖先は突然変異によって、人間とオオカミの両方と同時に仲良くできるようになったことで、当時のオオカミの大半から枝分かれした。その少数派は人間といっしょに暮らし続けて、やがて犬になったが、残るほとんどのオオカミはこの道に従うことはできなかった。
人間と仲良くできる犬の能力が、人に飼い慣らされた結果ではなく偶然の産物だったとしても、そもそも飼いならしの道を開いた、何より重要な前適応だったのではないだろうか。
◾犬とオオカミの決定的な違いは、見た目ではなくその行動にあり、特に人に対してどう接するかが大切だ。
◾人に慣れたキツネは、犬とは違い、他のキツネと仲良くすることに興味を失ってしまうように見える。
◾農場のキツネの研究から、人に慣れるオオカミと人に慣れないオオカミの差は、幼いころの社会的学習期間が延長されるかどうか、その結果、人間との触れ合いを許容する能力を発達させる時間があるかないかできまることがわかったので、この過程の解明に大きく役立っている。
◾保護施設の研究では、犬が自由裁量を与えられたとき、オオカミの群れのようなものを作る傾向があるという証拠は見つからなかった。
◾それなのに、ペットの犬を理解するための基準として大切なのはオオカミだとほのめかす犬の専門家やドックトレーナーは多い。そのとき実際に基準と見なしているのは、何よりも家族のきずなを大切にする野生のオオカミではなく、無理やり同じ場所に押し込められて血のつながりのない相手と争いを繰り返している、動物園のオオカミなのだ。
◾また犬のしつけに関しても、「支配」という言葉を不正確に、あるいは誤解を招くように使っている例は山ほどある(シーザー·ミラン)。
生物学者ならその行動を社会的なものとはみなさず、すぐ補食の習性に分類するだろう(レーザーポインターの光を追いかける犬について)。
◾「犬が別の犬と出会ったとき、その先の行動を決めるには、相手にどれだけやる気が見えるかを、実際の体格や強そうに見えるかどうかより大事にする」。
◾犬が資源を競い合うときに体の大きさを無視するのは、飼いならしの結果だろう。
◾犬の他犬へのふるまいの決定方法。犬が「経験則」を更新するごとに、その効果は以前の更新より少しずつ弱くなっていく。言いかえると、最初の何回かの出会いが、「規則」を作るうえでとても重要になる。
◾仔犬は似たような犬すべてに恐怖を結びつけてしまう。考えを変えさせるようなことが起こらなければ、その感情はいつまでも続く。だから飼い主が仔犬をほかの犬の前にはじめて出すときには、細心の注意が必要になる。
体罰は一見有効だが、長い目で見ると効き目がなく、その理由は、動物の学習方法を研究する科学者の目には、火を見るより明らかだ。
◾イアン·ダンバー博士は、できれば褒める「ポジティブトレーニング」「ルアー·ごほうび」トレーニングを提唱。犬の心理学に基づき、動物行動学の博士号と10年にわたる犬のコミュニケーションおよび行動研究により裏付けられている。
◾最も単純な学習は「慣れ」。どうでもいいとわかったことには反応しなくなること。ストレス要因を犬がわかるくらいの強さで、しかも恐怖を感じさせない程度に与える。このレベルに慣れたら、音をほんの少しずつ、長い間隔で大きくしていくことができ、その音にも慣れると、日常の「ふつう」音の大きさにも驚かなくなる。
刺激を段階的に強くするときには、犬がわずかでも驚かないようにすることが肝心だ。その限界を超えると、何段階も前に戻ってやりなおさなければならない。
◾その反対の「鋭敏化」は、怖いものから逃げられないために犬がパニックに陥ることで起こる。
◾古典的条件づけは無意識のもので、何が起こったかを犬がじっくり考えるわけではない。そのため、任意の刺激と、犬が反応するよう条件づけられていることが起こる間隔が、短いときだけーー一秒か二秒ーーうまく働く。
◾犬の学習=一秒か二秒だけ間隔を置いた出来事の関連づけ。
◾「オペラント条件づけ(道具的条件づけ)」連想学習のもうひとつの種類。犬の行動を特定の褒美と結びつける。褒美は食べ物だけでなく、触れ合い、探検や狩猟に出かけるチャンス、遊びが褒美と考える犬もいる。
クリッカー=「二次強化子」の役割。最初は任意の出来事だったものが、その直後に必ず本物の褒美を与えることによって、動物の心のなかでエサと関連づけられると同時に(単純な古典的条件付け)、なぜかそれ自体が褒美になってくる。

◾そして実際になつくのは、まだ仔犬のころ、やさしい人間に出会ったときに限られる。
◾犬が人間への親しみをもてるようになるには、生後3~10、11週間の「臨界期」に、なんらかの(適度な量の)触れ合いが必要。
◾仔犬の場合は感受期(生後3週間半)に仲良くできたほかの動物、たとえば猫でも、刷り込みが生じる。
◾最初の3、4か月が最も大切な時期。刺激が多すぎるのは、少なすぎるのと同じくらい有害。殆どの犬はごく普通の人間の家庭で育つだけで、ほどよい程度の経験をしている。
◾生後12週頃、それまで一度も見たことのない動物や人間のタイプを避けるようになり、拒絶することもある。
◾仔犬を生後8週間より前に兄弟から引き離すと他犬を怖がるようになる兆候もあるので、生後8週間までは兄弟を皆一緒にしておき、それと同時進行で、様々に異なった人間と会わせはじめるのが理想。
◾母親の胎内に宿ってから生後およそ4ヶ月までの仔犬の経験が、その性格に決定的な影響を与える。

◾はっきりしているのは、犬の感情生活を理解しようと最大限の努力をする大切さだ。
◾犬は「罪悪感」を抱かない
犬のとった行動は、自分が現実にしたことやしなかったことではなく、飼い主の行動に応じて決まっていたのだ。
◾犬は二原色ー青紫と黄緑ーしか見えていない。黄色の錐体細胞がないため、赤とオレンジ、オレンジと黄色を区別できない。赤と青は区別できる。
◾可聴閾の最高値。人間23キロヘルツ、犬45キロヘルツ、猫100キロヘルツ。
◾断尾されると仲間とのやりとりに不利を背負い込むことは明らかだ。
◾犬の性格は、遺伝子と成長期の経験との複雑なからみ合いによって作られていく。

◾新しい犬の科学が強い抵抗を受けてきた分野のひとつに「しつけ」がある。一部のドッグトレーナーや自称「問題行動専門家」は、科学に基づいた信頼できる情報を伝えようとする人々を、経験や実績がないとあからさまに中傷することさえあった。ほとんどの犬は家族の支配権を虎視眈々とねらっているという古い考えが、今も根強く残り、なかなか消えない。体罰も同じだ。
◾だが今のところ、さまざまなトレーナーの派閥が異なる主張や反論を繰り広げ、飼い主は戸惑うばかりになっている。
◾あいにく、広く認められたドッグトレーナーの基準というようなものはない。
◾ドッグトレーニングは今、規制のない職業だ。その営業を管轄する法律がない······トレーニングと称して、正式な教育も証明書もない人たちが、飼い主の犬を抑圧し、文字通り死に至らしめることがあっても、無罪放免だ。