陰陽師 8

 

陰陽師 8 (ジェッツコミックス)

陰陽師 8 (ジェッツコミックス)

 

玉置は修験の霊峰の一つなのだよ

吉野の金峯山(みたけ)から熊野へゆく 奥駆けの道の途中にある

なぜ玉置といわれるかは諸説あるが

宝珠にかかわる地ゆえの名であろう

なぜならあの地は とても微細な波動の地でな

おれの持っていた水晶が 水飴のように柔らかくなってしまったからさ

魂の緒も振るわれ 常には非(あら)ざる状態になる

そのような聖地だから 古くから国常立神等を祭る玉置神社があるが

その神域に一本の大樹に 四季を凝縮したような神木もある

 

もっと 興味深いのは

地中に深く埋まった 巨大な磐坐(いわくら)の先端だけがのぞいている

玉石という摂社があってな

大巳貴神を祭り 大神神社の神紋と同じ 三本の杉の大樹に守られている

ここは 白石という 露出した磐坐があり 白玉椿の林に囲まれている

このそばに 古くから 玉置とよばれている郷もある

そしてな 鵜の瀬と玉置を結ぶ一直線を

ちょうど二分する真ん中に東大寺があるのさ

面白いだろ

 

しかも 北へ登れば 常神(つねがみ)の神島だ

白石の遠敷明神(おにゅうみょうじん) 玉石社の大巳貴神・・・・・・陰陽か?

若狭彦は若宮か?・・・・・・ああ・・・・・・

若狭から 再生の象徴である 春が南下するのだ

東大寺は修二会(しゅにえ)の時 紙でつくられた椿であふれる

実忠は 黄金の大仏建立のため 水銀汚染で荒れてしまっていた奈良に

水神十一面観音を 祭り 浄化の行を修し

椿の原生林に囲まれた 水性豊かな鵜の瀬を

時空ごと 勧請しようとしたのだろう・・・・・・

魔術師め・・・・・・

 

その一直線と 雨乞いとは関係があるのか?

ああ・・・ その直線上に

貴船も 賀茂下上社も 伏見も 東大寺春日大社も 石上も

大神神社も 吉野も あるのさ

どこも水に関わる神なのさ

 

修験の基本

上から下はよく見えるが 下から上は見えぬ

山の上から見降ろしながらも

己自身は まだ あの里のヤブの中と気付かねばな

しかし世の中には 見えてないと自覚せず

秘儀の聖域にずかずかと土足で踏み込むボンクラ者が多い

山に入るということは

母の胎内にもどる 胎児にもどるということなのだよ

そして胞衣(えな)をつけて山を下り もう一度産まれなおす

つまり 生きながらにして 生まれ変わる行なのさ

そうやって 再生をくり返しながら 自分自身を高みへと昇らせる

吉野の守護神は 水分り(みくまり)の峰の水分り神から みこもり

子守の神 子授けの神に変化してきた

しかし こもりは 籠(こもり)

山に籠もる行者を守る 母神様なのだよ

母の懐で自分を完成させてゆく そのために まず神妙に

しかし 勇気をもって 自分のヤブから 一歩踏み出すのだ

全体を知るために 全体に近づくために

もっとも そんな行など必要のない者もおるがな

 

生まれつき愛でられているものは 行などせんでよいのだ

楽は 神に近いものであろうが・・・・・・

とにかくな おぬしは そのままで よいのだ

そういうことだ

 

う・・・・・・瓜の数と北斗の星の数が同じだが もしや清明

人の魂は光を放っていて 辿った跡が軌跡のように残る という話をしたな

これは陰陽道で言う反閇(へんばい)だ

若狭から斗機(とき)をひっくり返した形に辿って来たのだ

実際に出向いて行って場を踏む ということは 大事なことなんだぜ 博雅

伊勢の地に辿り着くまで 生涯を反閇に捧げて

ウェッブ状の結界を歩いて編み上げた 倭姫しかり

国覓(くにまぎ)の旅などと言われているが とんでもない

(国覓=住むのに適するよい地を探して歩くこと)

 

落とせる

情念は魄(はく)より生ずる

魄は地より生じたもの 地に返せる

鍛えよ

魄の界に触れてなお ピュアを保てる魂(こん)に

ああ・・・あれは・・・

地球(ちだま)の鼓動がきこえる

おれ自身だったのか

こんなにかかったとは・・・・・・ あの五年(いつとせ)の時を洗い流すのに

あきれるぜ・・・・・・

 

万法自心本(もと)より一体

比の義を知らざる 尤とも哀れむべし (空海)

鍛えられ 研ぎ澄まされた 魂は

すべての存在と わが身が一体であることを

一瞬のうちに 完璧に悟るのだ・・・・・・

 

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