環境問題の嘘 令和版

◾生態系は、大きく分けて、生産者(植物)と消費者(動物)と分解者(菌類)からなり、人間は、消費者の一員であるにすぎない。
◾つまり、人間が生存できないほど自然環境を改変してはいけないというのは、自然のためなんかではなくて、そうしないと人類が生き延びることができないからに決まっている。
◾ある政策を遂行するために複雑なシステムが構築されると、このシステムにディペンドして生計を立てる企業や役所や人が出てくる。このシステムが崩壊すると困る人が多ければ多いほど、科学的事実に反することが分かっても、システムはなかなか潰れないのである。
◾環境問題=人間の活動によって起こされた不具合(自然破壊·ウイルスのパンデミック·エネルギー問題·食料問題)。天災=人間の活動とは無関係に生じる不都合な出来事(地震·火山の爆発)。
◾「持続可能な開発目標(サスティナブル·ディベロップメント·ゴールズ : Sustaimable Development Goals)」。そもそも矛盾したコトバで、ディベロップメントが続く限りゴールは来ないし、ゴールが来たらディベロップメントは終了する。
少子化を進めるほうがサステイナブル。資本主義というのは、人口も、エネルギー消費も、右肩上がりを前提として成り立っているシステム。グローバル·キャピタリズムというのは、クラッシュを避けられないシステム。
◾地球の温度変動は、太陽の活動のほうが、CO2よりもはるかに重要な要因。
◾地球の気候変動というのは、自然現象である。人間の活動で左右されるものではない。唯一の例外は、大都会のヒートアイランド現象。
◾実のところは、人為的地球温暖化論を推進しているのは、エコという正義の御旗を梃子にCO2削減のためのさまざまなシステムを構築して金もうけを企んでいる巨大企業と、それを後押しする政治権力で、反対しているのは何の利権もなく、データに立脚して物事を考える科学者なんだよね。普通の人が騙されている主流の論調とは正反対に、金まみれなのは人為的温暖化論者のほうで、貧乏なのは人為的温暖化懐疑論者なのだ。
◾むしろ、ペットボトルは燃やしてしまったほうがいい。とくにペットボトルは、生ゴミと一緒に燃やしたほうがかえって効率がいいと思う。回収とリサイクルそのものを目的化する人たちの利権。
◾「減農薬」という言い方をして、「農薬を減らした」ということを強調しているけれど、ひじょうに強い薬だから、かえって怖い。
◾強い農薬、プリンス(商品名)、薬品名「フィプロニル」。フィプロニルを使っている田んぼでは、使用以前に比べ一〇年間でアキアカネの個体数が一〇〇〇分の一以下に減った。むちゃくちゃだよね。
フィプロニルもネオニコチノイド系の農薬だから、人間にも害があるかもしれない。そういう、あまりにも強い農薬は使わないほうがいいと思う。
◾食べ物から何から何まで、お金で買わなければ、入手できないようなシステムを構築することが、差し当たってのグローバル·キャピタリズムの目標である。なるべく安い賃金で労働者を使って製品を作り、利潤を上乗せして消費者に売る。労働者はイコール消費者であるから、たくさんの人々が自給自足を始めると、キャピタリズムは成り立たなくなる。あるいは、人々が自分で生産したものと他人が生産したものを、物々交換すれば、間に介在してマージンを取ることができなくなるため、やはり、キャピタリズムは破綻する。
◾物々交換をする媒介物として貨幣があったほうが便利なことは確かである。しかし、そうなると、結局のところ、生産物を売って金に換えて、その金で必要なものを買うということになるか、労働をして労賃を貰い、その金で必要なものを買わざるをえなくなる。買取価格と販売価格の差は仲買人の儲けになり、仲買人は株式会社になり、多国籍企業になり、遂にはグローバル·キャピタリズムに行きついたというわけである。だから、貨幣を物々交換の媒介物として使っているうちはグローバル·キャピタリズムからは逃れられないのだ。さてどうするか。
◾いま世界は、懸命にグローバル·キャピタリズムの延命を図っている勢力と、ローカリズムに軸足を移そうとしている勢力のせめぎあいの最中にある。そこにAIの発展が絡んで、五〇年後の世界は今とは全く様変わりしていることだろう。