若者よ、マルクスを読もう Ⅱ

若者よ、マルクスを読もうII

若者よ、マルクスを読もうII

■連帯
・家族の解体=消費の拡大。
・労働者の団結した抵抗を押さえる「競争に負けたオマエが悪い」論➡「勝ち組・負け組」論・「自己責任」論。「自己実現」論・「自分探し」等も個人の内側ばかりに目を向けさせて、社会の仕組みに目を向けさせない、ある種のイデオロギー攻撃。
・共同体の連帯=長期的スパンの中で、死者から生まれてくる人まで、縦にも横にも広がるもの。80年代からの日本のイデオロギー教育=「縦軸の連帯」はなく、集団を平面でとらえ、特に同世代・同じ立場・同じ思想を持つ人間だけの利害でまとまりたい、それ以外許さない、というもの。
・家族というのは、ひとりが破産・病気・失業・大怪我をしたり、変な政治思想や宗教に染まったりした時にこそ、支えるためにある。
フェミニズムジェンダー論の枠組みで模範解答とされる「親密圏」論には、弱者支援の発想はなく、目指すは「強者連合」の為、強者の条件を欠いたものは排除される。力あるものはないものを支援するのが共同体であるという基本的なことが了解されていない。
・自分の属する共同体のために、自分の個人的な欲望や意思を抑制できる人、連帯できる人たちだけが日本社会では階層上位を占めている。下に行けば行くほど、連帯する能力は劣化、相互扶助システムは機能しなくなってゆく。階層化の秘密とは、連帯する能力の有無。

■現代の階級分派
・現代は経済面からみた「社会階級および階級分派間の闘争」がかなり単純化されている時代。
日本経団連はすべての「意見書」を公開していますから、内容と政府の政策を照らし合わせれば、両者の一体ぶりはよくわかります。
・90年代は、鉄鋼やゼネコンを軸とする「大型公共事業関連の勢力」から、自動車や電気機械を中心とする「製造業多国籍企業勢力」への財界内部での主導権の転換が進む時期でした。小泉首相トヨタ会長との蜜月ぶりを示し、目の敵にされた橋本さんらは田中角栄の時代から続く自民党最大の大型公共事業グループでした。(「構造改革」を求めるアメリカからの圧力)経済的な「階級分派」間の利害対立が、自民党という政権党内部の「政争」という形であらわれたわけです。
・財界内の「階級分派」対立をあたかも「国民」の利益のためと話をすり替えて見せたところに、小泉劇場の狡猾さがありました。

■私人と公人(孔子における己と礼)
マルクスの「類的存在」と孔子の「仁」に共通するのは「まだ存在したことがないもの」であり、かつ「人間がそれをめざさなければならないもの」だという点なんです。

■「諸商品の相対的価値は、それらの中に支出され実現され凝固している労働の個々の量ないし分量によって規定されるのである。同じ労働時間で生産される諸商品相互の[価値]量は等しい」
諸商品の価値はそこに「結晶化した社会的労働」に裏づけられており、労働の量は「労働が継続する時間」をもって考量される。

■「労働価値の源泉としての身体」
「全権を占有する皇帝」と「無権利な奴隷」=脳と身体?
なぜ分かち合うに足るだけの資源があっても、フェアに分かち合わずに、富者・貧者をあえて作り出すのか。この「極化」形式はもしかすると人間の思考と行動に刻印された「十字架」のようなもので、それなしで人間は思考し行動することができないのではないのか。

■「資本は、社会にとって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」