宇宙を語る

苫米地英人、宇宙を語る

苫米地英人、宇宙を語る

  • 作者:苫米地 英人
  • 発売日: 2009/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
不完全性、不確定性の獲得は人々にとっては自由意志の獲得の戦いでもありました。教会対コペルニクス。権力を持ったらずっと持ち続けたいし、ビッグバン以降の玉突きのからくりは教会の法王だけが知るものである。それを信じさせたい人々、権力者にとっては、時間は過去から未来へ流れるという解釈が嬉しいですし、宇宙は確定的であってほしいのです。一方、その考えに縛られてきた人々は常にそれと戦い、自由意志を獲得しようとしてきたのです。

情報量=リアリティ・臨場感

物理宇宙は人間の数だけある。

我々は本来時間を超えることができないはずだが、しかし実際は、もっと高い抽象度次元に存在するため、時間を超え、流すことができる。これが時間と宇宙の基本的からくりではないか。
世界は一瞬で消え、次の世界へ。その繰り返し。プランク秒毎のコピーを繰り返しながら、人類は結局、情報宇宙、元々の未来へ戻ってゆく。
そして、寂しくなって再びビッグバンを起こし、その瞬間余りに限られたコミュニティだからと、場の臨場感を更に上げる為に言葉を発明し、波動方程式を発明し、やがて再び情報宇宙へと辿り着く。
こうしたサイクルこそが宇宙の歴史ではないか。

洗脳か教育かは、政治的論理でしかなく、国家が決めたことは洗脳と言わないだけ。

幸せになりたい人は、今、幸せと思えばいいのです。それが悟り。

「すべては自分の心がつくり出している」一人一人自分の宇宙を持つため、その宇宙の中で自分を幸せにできる人は自分以外いないのです。徹底的に自己肯定できれば、その瞬間に既に幸せであって、悟ってもいるのです。
完全な妥協のない自己肯定=悟り。今の自分を受け入れ、自分の情報宇宙を受け入れること。最終的には自我も「空」であることを「悟る」必要がある。
ねたみ=評価関数が他人。その事を完全に肯定できるのであれば、それでもいい。それは洗脳された状態と言えるが、とはいえ、最後の最後には不満足になる。