すべてはゆるむこと

「魚って、その場でチョロチョロ泳いでいる時はヒレを使うけど、瞬間的にパッと泳ぐ時って背骨で泳ぐでしょ。背骨を波動運動させて泳ぐよね。簡単にいえば、魚のような動きをするわけですよ。腰の仙骨から背骨、それから肋骨。それら全体を魚が瞬間的にパッと泳ぐように動かすわけ。でも、これってむちゃくちゃゆるんでなければできないんですよ。ほんとに、もう人間でないくらいゆるんでないとできないんです」
「ゆるゆるにゆるんじゃったら、不安じゃなくなるんですよ」
「ゆるみきると何もなくなる。無心。自分の身体をセンサーに、“自動処理機構”に入る感じ。この合気をかけるたびにつくづく思うことは、人間には、とんでもない潜在的な情報処理能力があるんだということですね」

「ゆるゆるにゆるむ」全身の筋肉がつきたての餅のようにゆるみ、最小限の力で立つ。動く瞬間、そのために必要な力だけをパッと入れる。

「ゆるんじゃって、地芯(地球の中心)からスパンと抜けるしかないよと。」

天才、名人、達人に共通する大前提=「ゆるゆるにゆるんで地芯(地球の中心)に乗る」

地球上では人間の身体にはいつも重力が働く。地面に立つ=重力に筋力で対抗。その筋力の働かせ方が重要。
重心線=人間の腹付近の重心と地球の中心を結んだ線。ここにスパンと乗れば、最少の筋力で立つことができる。顕在的でも潜在的でも、重心線をしっかり感じられることで、ゆるゆるにゆるむことができる。
「ゆるゆるにゆるむ」といっても、全身の力を抜ききれば普通は立っていられない。しかし、地球の中心に乗り、重力線を感じながら立てば、最少の筋力で立つことができる。

動く時の重力線と筋肉の関係。例えば包丁で刺身を切る時。「包丁に体重を乗せていく」には?筋肉をゆるゆるにし、包丁を自分の重心線に沿うよう動かす。つまり、包丁で見事に刺身を切ること=自分の重心線と薄い包丁をピッタリ合わせる作業。

つまり、高岡氏は、生命現象をミクロに見ていっても、ゆるゆるにゆるんでいなければ、成り立たないことに気がついた。それらが、反対に硬く固まってしまえば、生命現象は衰え、やがて死に至る。体内のあらゆるものがゆるんでいてこそ、人は生き生きと活動できるというわけである。つまり「生命=ゆる」ということである。

「ゆるゆるにゆるんだ人間というのは、生命活動の真理を直接感じやすい存在なんです。他人の状態というものが、自分の身体をベースとして感じられる。生理的に嫌い、ではなく生理的に許容できる。あそこまで身体を硬くして、この人、つらいだろうなって。身体のこの部分が拘束されて働かないから、つらいのねって、わかるから他人を許容できる。身体を硬くしていると、許容できなくなるから、生理的に嫌となる」
つまり、他人を許容するとか、何かしてあげたいと思って実行することは、自分に余裕がなければ、現実にはなかなかできないという話である。