完全教祖マニュアル

◾教祖の最低成立要件
「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となる。
◾「なんとなく無信仰がふつう」という感覚は、元を辿っていくと明治政府の政策に当たる。「外国からプレッシャーかかってるから信仰の自由は容認しないとなあ」「でも、できれば天皇だけ崇拝して欲しいなあ」という板ばさみの中で試行錯誤していくうちに、「信仰の自由は認めるけど、特定宗教を信仰せずに天皇だけ崇拝してるのがふつうだよね?」という感覚ができあがり、それが第二次大戦後に「天皇崇拝」の部分が抜け落ちて、今までなんとなく続いているわけです。
◾あなたがある程度教祖として大成した後は、ふらふらしたり、適当なことを言ったりするだけでも、それが教義となるので大丈夫です。あなたの行為に隠された深い真意は弟子たちが一生懸命考えてくれます。
◾「前提(仏教の輪廻転生/イスラム教のムハンマド使徒性/キリスト教のイエスはメシア)」を踏まえた上での論理的思考。これが哲学です。ここが美しいとインテリが酔う。仏教哲学もイスラム哲学もキリスト教神学も多くのインテリが参加しています。
インテリは論理的思考が得意なゆえに、「前提」を突然作り上げるといった非論理的蛮行には踏み切れないのです。
◾「どのようなプロパガンダも大衆にあわさねばならず、その知的水準は獲得すべき大衆の最低水準の人々が受け入れられるようにあわさねばならない」
◾偶像は神へと思いを馳せるための一つの方便に過ぎない。
◾中途半端な知識を持った無宗教者は「不思議なこと」に対する抵抗力がありません。そこで、あなたは「不思議なこと」を意味付けできるよう、準備しておけば良いわけです。こうして獲得した信者は、あなたの霊的世界観を受け入れて不安を解消したわけですから、そうそうあなたの世界観を捨てることはできないはずです。この信者の保持は容易であるということです。
◾ハードコア無宗教
「世界のあらゆる現象は全て説明できるはず」などと考えるのはおこがましい。「たまにはわからんこともある」、科学で説明できないことだってあるのが当たり前。
◾人が宗教を意識する時は困ったとき。生きているだけで困っていると思わせればよい。仏教「老い·病気·死」キリスト教「死んだら地獄に落ちる」エコ「そのまま生活してると将来地球に住めなくなりますよ」。
その後、キリスト教「神を信じれば天国」仏教「悟りをひらけばオッケー」と救済を与える。
◾組織を固めるという意味では「信仰を捨てるとまた不安に苛まれるぞ」といったニュアンスを出すことも大切。「呪われるぞ!不幸になるぞ!」ではなく、お上品に「あなたがいま幸福なのはこの宗教を信じているからですよね?」と言えばよい。救済と呪いは表裏一体。
◾「世俗の○○」を「聖なる○○」へと変える差別化を行うことで、信者であることを強く実感させ、教団への帰属意識を喚起させる。食物規制、断食、暦等。
◾『水からの伝言』とは「水という仲介物を通して、世界に対する江本氏の価値判断を表明した作品」ではないか。ムハンマドは「神という仲介者を通して、世界に対する自分の価値判断を表明した」とは言えないか。
◾ある思想がマジョリティになり権威になると、それでは救われない人、不幸になる人、不都合なこと等が出てくるので、それに対処するために新たな思想が生まれてくる。鎌倉仏教での比叡山法華経に対する浄土宗の法然·親鸞、その念仏ブームに対する日蓮。律法に縛られたユダヤ教に対するキリスト教カーストに縛られたバラモン教に対する仏教など。既存宗教や既存の価値観への「悪口」は新興宗教をスタートする原動力。
手っ取り早く信者を増やしたいのであれば、巨大宗教団体に噛み付くのが一つの手段と言えるでしょう。
◾迫害を受けることには、信仰強化や将来美談にできるかもしれない等のメリットがある。
現代日本ではどれだけ真面目に新興宗教を行っていても、必ず誰かが批判してくれます。迫害不足に困ることはありません。
◾「一人一冊」という出版の限界すら突破する。それが宗教なのです。
◾免罪符を販売するには購入者に免じるべき罪の意識がなければならないが、キリスト教は人々が何となく抱いている不安に「罪」という説明を与え、それを「免罪符」で軽減することで、これを可能とした。自分で生み出した需要だからこそ、自分たちで独占的に解決法も供給できるわけですね。
◾「沢山寄付する人が偉い」という雰囲気を作るのは寄付を煽る上で大変有効です。ユダヤ教徒が商業的に成功してきたのは、一つにはこのような風潮がユダヤ社会にあったからと言えるでしょう。
キリスト教プロテスタントでは、職業=神が人間に与えた任務。「予定説」=神のパワーで「神を信じさせてくれている」。その確証を得るために商売を頑張りお金を貯めることで「神の恩寵」があることを確認しようとする。熱心な信者は頑張って労働。このようなプロテスタントの思考法が、近代資本主義に繋がったという説も。