からだには希望がある

◾柔構造の人
つまり、人間の場合、五重の塔の場合のように、一本柱という実体がポンとあるためにすーっと感じるのではありません。各パーツがずれ合いながら、その平均値が重心線になっているから、何となく直感的にすーっとしたものを感じるのです。
◾一方、柔構造の人は全身の各パーツごとに、いつも前後左右にバランスを取り合っている。だから、いつも地球の重心、あるいはそこに向かっている重心線を、剛構造の人に比べるとはるか正確に厳密に感知し続けている。
◾下丹田にせよ「腰」にせよ、身体の中に存在すると格別に優れた能力や心境を提供してくれる意識の中心があり、それらが極意である、という考えに行きついたのです。
◾つまり、極意とは「極まった意識」である。ということは、意識にはいろいろなあり方やタイプや水準があって、そのすべての意識が極意になるのではない。その中で特別なあり方をするものが極意である。そのあり方の答えが「極」という字にある、と考えたのです。
◾極意とは優れた機能を発揮する体性感覚的意識(身体意識)の構造、メカニズムである、ということです。
◾呼吸
しかし、互いに共感し合えそうにない状況を乗り越えて、コンセンサスに到達できる人たちは、相手に対してこういう意見を言おうとか相手の話も聞いてみようという時に、一人ひとりが非常に深く息を吸っている、つまり腹式呼吸が十分できているのです。
◾相手に対し敵対的な気持ちがあっても、相手に息を深く吸われると、あいつは敵だとわかりながら、相手を受容したくなるのです。
◾気功
太陽の気は、太陽に届いた身体意識を通って直接中丹田に入ってくる。地球のマグマの気は、脇や股を通って中丹田に入ってくる。中丹田に集められた熱性の気は、中丹田の作用によってその質をコントロールされ、猛烈に熱い状態から適正な温かい状態に変えられる。そのようにして温かくなった気は中丹田から外に発せられる一方、脇から腕の内側を通って手のひらに集められる。手のひらは温性の気の集まるところなのです。
◾この話でおわかりのように、気はやたらに入れればいいというものではありません。その質が重要ですし、どこをどう巡り、どこに溜まって、どのように使われるかというメカニズムがうまく機能しないと危険なこともあるのです。
◾天の気は、身体意識の届いている位置によってその質が変わる。高ければ高いほど気の質は高くなる。たとえていうと、天の川には質の高い清浄な気があふれている。だからそこまで身体意識が届くと、その空間に存在し、ひしめいている気が、まさに身体意識をパイプとして下りてくる。
青空、満天の星空。星空を見上げた時に神々しさを感じるのは、そういう気を浴びているから。神々しいとはそういうこと。
常に天に届く身体意識があれば、天気や状況によらず、清々しく気分よくいることができる。
◾気というものは無限の質があるのです。
◾良い気がたくさん入ってくれば元気になるし、一方気が病む、気が間違った状態になれば、病気になります。

◾ゆるは身体の各部分をゆすりながらゆるめていくメソッド。
◾固くこわばってゆれないところを、なんとかゆれるように、さまざまな工夫をしてみましょう。
◾ゆるの種類
◽ほゆる(骨のゆる)
身体中の骨と関節を一つひとつ意識して、その部分があたかもクリームかミルクになったかのごとく、よくイメージしながらゆすっていく。
◽ぞゆる(内蔵のゆる)
各内蔵に水がたっぷり入ったイメージで、その重さを感じるように意識しながらゆするとゆるめやすい。
◽きゆる(筋肉のゆる)
「ほゆる」「ぞゆる」と同じように、ゆるめたい部位の筋肉がゆるゆるとろとろになることをイメージしながらゆすっていく。

◾軸タンブリング
足裏「ウナ」。
内くるぶしそのもの「内踝」。
膝の裏側の「膝玉」。膝の中ではなく、膝の裏側を通る。

◾「均等呼吸」
胸を張りながらだと、胸の前面にしか空気が入らない。
理想的な息の吹い方。センターを中心として、むしろ背骨は後ろ側に移動し、胸の全面にも、横にも、後ろ側にも充分に息が入っていく。
この吸い方を、胸にも脇にも背中にも均等に息が入る吸い方ということで、私は「均等呼吸」と名付けています。
実際には、背骨の前端ないし直前を通る「センター」を中心に、そこから胸·脇·背中が均等に広がるように意識していきます。もちろん胸の方が膨らむが、背中側も多少なりとも広がっていくというのが均等呼吸。
均等呼吸を行った場合は、外見上、身体が極端に前傾したりすることはありません。センターを中心に息を吸ったり吐いたりしますので、身体の姿勢はそのままに胸·脇·背中だけが広がったり、縮んだりしていきます。

◾宇天気功
気功の世界では、こうした時に、はるか何万光年のかなたにある星から“気”というものが自分の身体に降り注いでいると考えます。つまり星からの気が自分の身体に入ったからこそ、荘厳さや静けさを感じるのだと考えるわけです。
一般的には、雲、星、宇宙の果て、さらにその外と遠くなるにしたがって、気の質が純粋かつ神聖になっていきます。
身体意識(身体的な実感にまで高める)でイメージ。
「宇天」というのは、大宇宙のさらに外をそうていしているわけですから、そこを「身体意識」でイメージすることができれば、星よりもさらに清涼で純粋な気を得ることができます。宇天流というのは、宇天を身体意識でとらえることにより、宇天からの気が、気持ちよく肩や肘に流れ注いでくる、その気の流れのことを言います。
「宇天光糸」というのは宇天からの光の糸です。宇天は大宇宙のさらに外ですから、自分の上下だけではなく前後方向にも存在すると考えることができます。その前後の宇天から光が糸状になって自分の顔に入ってきているのが宇天光糸です。