感性の限界

◾カント「純粋実践理性の根本法則」
「君の意思の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」
◾アンカリング
私たちが実生活で目にする「セール価格」や「希望小売価格」はもちろん、「先着一〇名様」とか「在庫残り五個」といった数値も、すべてアンカーなのです。
いったんこれらの数値が頭に入ると、その後の交渉や意志決定は、すべてそのアンカーが軸として回転。カーネマンとトヴェルスキーの国連実験で明らかとなったように、それがランダムな数値であってさえ、大きな影響を与えるのです。
◾二重過程理論「一つの脳内に二つの心が共存している」
「分析的システム」=「自己」、言語や規則に基づく処理を行い、意識的に刺激を系統立てて制御している。
「自律的システム」=ヒューリスティックなモジュール型のシステムで、刺激を自動的かつ迅速に処理し、意識的に制御できない反応を引き起こす。
「自律的システム」の決定を「分析的システム」は制御できない。
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界(1819)』
世界は「私」の表象であり、その根底は「盲目的意志」に支配されている。この「盲目的意志」は、飽きることなく永遠の欲望を抱き続け、そのため人間は苦悩の連続に陥らざるをえない。
ショーペンハウアーもハルトマンも、さらに彼らに続いて「力への意志」を説いたニーチェにとっても、「意志」とは本質的に非合理で目的を持たない実存的主体。
◾スタノヴィッチの二重過程理論によれば、ヒトの脳内の「自律的システム」は遺伝子の利益を優先し(その為に「利他的行動」を取る)、「分析的システム」は個体の利益を優先していると解釈できる。
◾「天動説」から「地動説」のように、進化論においても、「個体中心説」から「遺伝子中心説」へ向かう科学革命が必要なのです!
◾個体を優先する「分析的システム」が、遺伝子を優先する「自律的システム」の命令に逆らうことができるかどうかによって、具体的な対応がことなってくるわけです。
◾スタノヴィッチ「ロボットの叛逆」
「私たちはロボットーー複製子の繁殖に利するように設計された乗り物ーーかもしれないが、自分たちが、複製子の利益とは異なる利益を持つということを発見した唯一のロボットでもある。私たちは、まさしく、SF小説に登場する脱走ロボットーーみずからを創造した存在の利益より、みずからの利益を優先させるロボットーーである」
◾仮に世界があまりにも「決定論的」だったら、それは単純で退屈でつまらなかったでしょうし、世界があまりにも「非決定論的」だったら、すべてが複雑で混乱してメチャメチャだったでしょう。
◾「カント·ミーム
ドーキンスの造語で「非遺伝的な複製子」。「コミュニケーションをする複雑な脳によって用意される環境だけで繁栄する」複製子であり、「脳から脳へ伝達される最小単位」の情報ともみなされる。ミーム=世代間で受け継がれる。
サルトル「実存=現実存在」「実存は本質に優先する」本質は後付け。
カミュの不条理への対処法、第二の方法は「盲信」で、これは不条理を超えた何らかの「理由」を信じること。「科学的あるいは合理的な理由」「全知全能の神が与えた試練」とみなす。「本質」を「実存」に優先して信じる方法であるが、そのような「本質」があるという根拠はなく、カミュはこのような盲信を「哲学的自殺」とみなして否定している。
◾ファイアアーベントが「科学」を「最も新しく、最も攻撃的で、最も教条的な宗教的制度」と呼んだのも、それが人間の「盲信」を導くからだった。
◾第三の方法は「反抗」。世界が「不条理」であることをそのまま認めて、あらゆる真実を包括するような科学的、合理的あるいは宗教的な「本質」も存在しないことを理解し、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで「反抗」するという方法で、これをカミュは「形而上学的反抗」と呼んでいます。