フォン·ノイマンの哲学

◾第4章で量子論に触れる際に詳細を述べるが、ノイマンとウィグナーは人間の意識によって「量子論的状態」が収束するという量子解釈を提唱した。➡️「ウィグナーの友人のパラドックス
◾「ノイマン·ウィグナー理論」「人間の意識が量子論的状態を収束させる」
この理論によれば、最初に箱を開けたシュレーディンガーが猫の生死を「意識」した瞬間に、量子論的状態は収束し、無限連鎖のパラドックスは消滅する。とはいえ、当然のことながら、その「意識」とは何かという新たな疑問が生じる。
◾「フォン·ノイマンは、我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を教えてくれた。このフォン·ノイマンの忠告のおかげで、僕は強固な『社会的無責任感』を持つようになった。それ以来、僕はとても幸福な男になった」
◾そこに描かれているのは、ハードウエアとソフトウエアの分離した、かつて人類史上に存在したことのない、まったく新たな機械の定式化だった。
その後、この定式化が「バイブル」となって、世界中に「ノイマン型」コンピュータが誕生することになったわけである。
◾要するに、同じハード(機械)を使いながら、ソフト(プログラム)を変換すれば、多目的に対応することができる。その「プログラム内蔵方式」の概念を史上最初に明確に定式化したのが、ノイマンだったのである!
ノイマンが誰よりも高く評価していたゲーデルは、集合や概念などの「数学的対象」が「人間の定義と構成から独立して存在する」こと、そして、そのような実在的対象を仮定することは、「物理的実在を仮定することと、まったく同様に正当であり、それらの実在を信じさせるだけの十分な根拠がある」と信じてきた。
ところが、ノイマンは、ゲーデルの「数学的実在論」に真正面から対立して、「あらゆる人間の経験から切り離したところに、数学的厳密性という絶対的な概念が不動の前提として存在するとは、とても考えられない」と断言している。ノイマンは、数学は、あくまで人間の経験と切り離せないという「数学的経験論」を主張しているわけである。
◾要するに、ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道主義的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。