バイリンガルは二重人格

◾人間が同時に2つの文化の中で生きることが精神的リスクとされる流れは、いまだにつづいている。
◾二重人格や多重人格は、海馬の細胞が壊れることによって生じる記憶障害のひとつ。強いストレスを受けた結果。
バイリンガルの二重人格は、海馬の萎縮によるものではなく、少し抽象度の高い情報処理に基づいて生み出される、日本語人格と英語人格という二重人格。
◾脳の神経ネットワークの集団にも次元があり、海馬の萎縮といった物理的なレイヤーでの出来事よりも高い抽象度のレイヤーがいくつも存在。例えば、知能はゲシュタルトをつくる作業、言語はゲシュタルトを操作する作業。知能と言語それぞれにもレイヤーが。こうしたレイヤーの高い所での脳の働きを高次脳と呼び、その中心的働きは前頭葉にある。そのため、単に神経ネットワーク集団だけを見ると、物理的には日本語用と英語用の神経ネットワークが重なりあっていることも十分にありえる。そして、英語を話すときの「英語人格のレイヤー」と日本語を話すときの「日本語人格のレイヤー」により、同じ人であっても英語をしゃべる時の人格と日本語をしゃべる時の人格は違うものとなる。
脳には言語を運用する高い抽象度のレイヤーでのネットワーク集団があり、バイリンガルは、そのネットワーク集団が日本語用と英語用に分かれている。
◾自分の自己イメージが、英語がしゃべれるという臨場感世界で成り立つと英語がしゃべれるようになり、それが成り立たないと英語がしゃべれなくなる。
◾記憶と臨場感世界。これが、バイリンガルの本質。この高次脳のレベルで、バイリンガルの二重人格が生み出される。
催眠で擬似的なバイリンガルがつくれるのは、催眠により現実世界と異なる仮想世界に臨場感を持つことにより、その世界を構成すべき記憶が強制的に引き出されるからと考えられる。
私たちのリアリティは、記憶を用いて認識される。
◾人類は、農耕の発明によって、ノンレム睡眠レム睡眠をしっかりとれるようになり、それが知能を司る前頭連合野の進化につながる。そのため、私たちの活動空間は、情報空間にどんどん広がっていくことに。
◾情報空間における出来事は、触れることができないため、伝えるのが大変。言語は、おそらくそのために進化していったと考えるのが妥当。
◾つまり、睡眠がたっぷりととれるようになり、抽象空間が広くなり、また農耕の進歩によって文化が生まれ、それと同時並行的に言語が進化して、それがまた文化を進歩させるという循環が生まれたということ。それは同時に、抽象空間がどんどん広がり続けるという進化の過程の始まりでもあった。とすれば、脳と言語は殆どイコールで結ばれる。
つまり、言語は脳全体の活動でありながら、脳の進化のプロセスは、その中心が前頭葉にあることをはっきり示している。コミュニケーション、あるいは人間関係において前頭葉の質が問題になるということは、こうしたことからも明白。
アメリカ人は外国人に、ネイティブのような流暢な英語をけっして求めていない。
◾しかし、英語の古典の読書に取り組み、英語圏の価値観や考え方にどっぷり浸かる習慣をつづけていれば、たとえ発音は流暢にならないとしても、日本語ネイティブとは別の、英語ネイティブに準じた思考回路がいずれ形づくられていきます。この回路で物事を考えることが、英語をしゃべるときに重要な“Think in English”の本質です。
◾なぜ当たり前にできるようになるのか。英語しか使わない世界に、その人が臨場感を感じるからです。臨場感がなければ、人間は何も理解できず、進歩もできません。
◾そうした英語の臨場感を持てずに英語を使うとすれば、それは日本人として、日本語の世界で英語を使っているだけの話になってしまう。その結果、相手の立場に立って、抽象度の高いところで物事を考える能力も磨かれない。
自分のものにするためには、強い臨場感のある英語世界の記憶を、自分の中につくるしかない。
◾テレビ=強烈な洗脳手段、人間から考える能力を失わせる。私はテレビを観ないし、テレビを観ないことがそれこそ前頭葉の質を高めるための第一歩だと本でも紹介し、いつも勧めている。
◾連ドラを観る=英語人格をつくるために、テレビの洗脳力を逆利用する方法。テレビドラマの洗脳力を利用すれば、ひとりで四苦八苦するよりもはるかに簡単に、英語人格が生まれる。いわば、アメリカのテレビ番組の洗脳力を利用して、連ドラに思いっきり洗脳されてしまえ、ということ。
◾本人の知らないところで洗脳が行われた場合は見過ごせない問題ですが、本人がその効果と影響を理解している場合は、それほど大きな問題ではない。
◾世界を正しく認識するために、日本語人格のほかに英語人格をつくる必要があるというときは、テレビ以外でもりようできるものがあれば、その洗脳力をおおいに利用すればよい。
◾テレビが人間を愚かにするという点では、垂れ流しの映像を受身で見せられている場合と、目的を持って積極的に観ている場合とでは、脳の活性はまったく異なる。目的を持って積極的に観ているときは、脳の活性が高まりこそすれ、低下することはない。連ドラに見入ることで頭が悪くなる、ということでもない。
◾自分が将来こうなりたいと、未来の自分をはっきりとイメージし、そのイメージに強い臨場感を与えることで、人はその目標をはるかに達成しやすくなる。
◾「なりたい自分になる」=「別の自我を自ら選択的に選んでいく」
◾「イメージの限界が自分の限界」。言葉だけでなく、私たちすべての認知活動は、イメージしたことが認知活動の限界になってしまう。
◾自己イメージ(エフィカシー)の限界を上げる➡️知識を増やしてイメージできることの世界を広げる。経験を増やす。「イメージの限界を下げる行為」をやめる。
◾「want toで自由に選んだことの結果はすべて良いことだ」。
なぜ、西洋社会やアメリカの憲法をつくった人たち、ピューリタンが、これだけ自由にこだわるかというと、自由のみが正しい結果を生み出すという考え方だからです。自由以外の選択は正しい結果といわないのです。「正しい」の定義が「自由」。
「自由に選んだからどういう結果になっても後悔しません」
ではなく、
「本当に自由で選んだなら、その結果しか良い結果といわない」。
◾ふつうの日本人は自由に生きているつもりで、日本社会の中の自由しかない。別の文化がリアルに感じられるようになると、別の視点が入ることになる。選択肢が増えてもう一段自由になる。抽象化=自由度を上がっていくということ。知識を大量に得るか、抽象度のを上げるか。例えばバイリンガルの場合、自動的にもう一つの視点が生まれるため、バイリンガルでない人よりも自由度が上がる。
バイリンガル位英語ができるようになれば、その裏側にある文化や背景を知るようにしましょう。そうすると視点がもう一つ増えるのです。
◾古典はそういう選択を言語より高い抽象度で書いているわけですから、マックス·ウェーバーホッブスは、翻訳の質の問題を別にすれば、日本語で読んでもいいのです。彼らが提示する抽象度というのは、言語より高い視点で記述されているので、そこで自由になるのです。
マルサス、経済成長をすればするほど、人が死ぬ可能性。人口爆発の問題が出てくるので、「経済成長しないほうがいい」と言っている。そういう視点はマルサスを読まないと出てこない。
ディベートではこういう視点をkritik(クリティーク)と言う。元々の価値そのものを疑う視点。「経済成長がいい」と言う人いたら、「資本主義が間違っているけど」といわれると、そもそもの「経済整地良い·悪い」という議論が成り立たなくなる。それがクリティークという技術。
◾古典のような抽象度の高い知識を得るためには、自分で頭を使うのもひとつの方法。しかし、あなた以外にも過去に頭を使った人たちがいっぱいいて、その人たちの視点を読んで手に入れてから、頭を使う方がはるかに効率的。古典に書いてあるんだから、それを読んだ方がいい、というのは明らか。
そうして複数の視点を手に入れ、自ら選択できるということが「自由になる」「幸せ」。
それこそが正しい選択であり、自由でない選択に正しいはありえない。それができてはじめて自分のゴールを決めることができ、もうひとりの理想の人格を選ぶことができる。
◾つくり出したイメージが現実世界よりも高い臨場感をもったとき、それが現実化するのです。抽象空間に対して強い臨場感を感じることができなければ、現実化することはありません。
抽象化されたイメージに臨場感を持つ方法のひとつが文字を読むということ。会話でも可能だが、所詮会話できる人は限られる。文字情報であれば、自分よりはるかに高い抽象化された知識を得ることができる。例えばマックス·ウェーバーなど。それなら文字情報で訓練する方がよい。
◾このような(悪口等)周りの人があなたのエフィカシーを下げようとしてきたことに対するマネジメントは無視し、まったく気にしないようにするのが一番です。そして、自分が同じようにならないということが大切です。
◾自己判断として自分を蔑むようなセルフトークをしないということが大切になります。まず、セルフトークのマネジメントから入るのです。
◾良いセルフトーク。「私はゴールを達成することができる。そういう心を持っている。何が起きても日々ゴールに近づきつづける」「私は高いエフィカシーを維持している。誰が何をいっても私のエフィカシーは上がりつづける」
エフィカシーが上がっている状態=その他の影響を受けず、自分のゴールだけで判断する状態。
それが自由の選択。自由の選択が正しく、すべての結果は良い結果。
◾「私はいつも、ごく自然にベストな選択をしている。その結果、現在の私は完璧にベストな状態にいるので、毎日がどんどん楽しくなっている」
◾抽象化された知識を吸収しつつ、新しい自己イメージを選択するとこによって、理想の人格を決定します。そしてセルフトークによって、エフィカシー、自己イメージをどんどん強めていくことで、新しい自己イメージに対して強い臨場感を持つことができます。
これを続けていくことで、もうひとりの人格を現実化、言語でいうバイリンガルをつくることになる。
◾英語力を身につける目的は、私たちが本物を知るため。日本人だけに通じる物事の考え方から抜け出し、世界をよりよく理解すること。
スコトーマをはずすために、英語圏の価値観や考え方で物事を見ること。
◾話すよりも、聴く、読むに重点を置いて勉強すれば、世界の正しい姿がわかってくる。そして、思案よりもはるかに容易く、英語人格が備わってくる。その先は書くこと。